大泥棒の介護「とっちゃん、俺はここにいるぜ」

2016-01-04

妄想話

誰もが他人には決して言えない過去が一つくらいはあるだろう。

俺に関して言わせてもらうなら、実はこれまで「泥棒稼業」をなりわいとしてきた。

何度となく逮捕されそうになったが、その度に死線を乗り越えてきた。

思えば、幾度となく対峙した警部がいたからこそのドラマチックな泥棒人生劇だった。

 

これまで俺はまともな職に就いたこともない。

もうすぐ還暦を迎えるが、今更転職するなんてことは無理だろう。

自分が仕事の出来ない人間だとは思わない。

どんなに傾きかけた会社だろうが、あっという間に立て直してしまう自信がある。

ただ、どこかに属すということに無理がある。

そして、そのやり方が「世の中のルール」からはみ出してしまうのが俺という人間だ。

決して目立ってはいけない。

世界に名の知れた、天下の大泥棒だからだ。

 

そうだろ?とっちゃん…

 

そう呼びかけながら天井裏から忍び降りる。

目の前の老人にかつての面影はない。

頭の毛は抜け落ち、口は常に半開きだ。

足腰は弱り、糞尿のコントロールもままならない。

警部をしていた現役時代は、それはものすごい剣幕だった。

大声で俺の名前を叫びながら「貴様を逮捕する!」と連呼していた頃が懐かしい。

あの頃の声量はもはや完全に失われ、こちらが話しかけても返事が返ってこないこともある。

何より耳が遠いのだ。

大音量のテレビに連日噛りついている。

その画面の前にしゃしゃり出てみても反応は薄い。

目を合わせてみるが、俺の顔をすり抜けていくようにして焦点が合わない。

いつからだ。

老いが「とっちゃん」の記憶の中から「俺」を盗み出したのは。

 

「…おい、とっちゃん。

 俺は目の前にいるぜ。

 これからも、ずっとな…」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

これまでは当然のこととして、全く気にせず仕事をこなしていた。

それが、この一軒家で生活をする老人に関してだけは、とても不自然に感じられて仕方がない。

要介護なはずの老人。

しかも一人暮らしでどう考えても生活が成り立たないはずなのに…。

 

国から受託された請負施設の職員として働く私は、そういう生活が困難になりつつある老人にあらかじめ目をつけて訪ねてまわり、相応の時期が来たならば適した施設に入居させるという任務を担っている。

 

調査名簿によるとこの老人は身寄りがなく、所持金もわずかとなっていた。

私は国の条例に則って、専用の施設に入所させる手続きをすぐに始めようとした。

廃校となった校舎を改修して新しくできた、生活保護者による生活保護者の為の専用施設だ。

思えばその頃からだった。

この家で妙な現象が起き始めたのは。

 

不可解な点を箇条書きしてみる。

・家の中がゴミ屋敷で足の踏み場に困るほどだったが、それが気付けない頻度で徐々に消えていった。

・老人の預金通帳に、ここに記せない程の金額が振り込まれていた。

・日用品、介護用品、食材が常に一定数揃っている。

・食事に入浴、トイレに至るまで何とか自力でこなせるようになった。(まるで誰かがリハビリを施しているかのように)

・完全に足腰が弱っていたはずの老人が、手すりと杖を使ってだが家の中を少しなら歩き回れるようになった。(…半年前までこんなところに手すりあったか?)

・しかし、相変わらず老人の思考能力は劣ったままだ。(←ここ重要)

・…最も不可解なのがその現象をおさえようと思い、私的興味で備え付けた「監視カメラ」に何も映らない。(そしていつの間にか撤去されている)

 

 

このごろ、老人は天井を見上げるようになった。

その視線の先に、いったい何があるのか。

老人の顔に、少しだけ笑みが見てとれた。

私はそれを探らないことにした。