いつの間にか、駅裏にあった空き店舗の改修工事が終わっていた。
外装は商店街にあるような大衆食堂の造りをしている。
それでいて見上げた看板には『わが家ベストテン』となにやら書かれており、歪な印象だ。
ここは以前、オシャレな老舗イタリア料理店だった。
2年前に他界した夫と、若い頃から何度も利用した思い出の場所だった。
歳を重ね、歩みの速度もこのように遅くなってしまったが、このお店の前に立つと亡くなった主人と今にも二人して入っていく感覚を思い出せていた。
しかし昨年、オーナーの意向でお店が閉められた。
それからは主人との思い出が一つ欠けてしまった気がして前を通るのを避けていた。
「なぜわざわざこのような地味なお店が新しく入るのだろうか、思い出の場所に…」といぶかしげな表情で素通りするはずだった。
しかし店前の新規オープンを知らせるボードが目に留まり、思わず立ち止まってしまう。
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/ / / / /( 。-_-。) はじめまして『わが家ベストテン』です! / / / / /
『あなたの自慢の料理をお店に出してみませんか?』
この料理店は、お客様によるお客様の為のお店です。
「自慢の料理を家族以外にも振る舞いたい。
自信の逸品を家族以外の元で評価されたい。
ブログでのレシピ掲載だけでなく、実店舗にメニューを並べてみたい…etc」
そんな願いをお持ちのあなたへ。
この『わが家ベストテン』がその夢を叶えます!
①『会員登録(キャンペーンに付き開店月は無料です)』
まずは会員登録をお願いします。
登録は二通りから選べてしかも簡単です。
・インターネット・スマホからの申請
or
・実店舗からレシピ申請
(レシピ申請書がお店においてあるので、その用紙に記入して気軽に店員に渡してください)
後日、こちらから連絡させていただきますので、それまで楽しみにお待ちください。
↓
②『面談』
次に面談を行います。場所はこのお店で行います。
お約束の日時にいらしてくださいね。
(面接形式で行いますが、楽な格好でいらしてください)
あ、面接の主役は「レシピ」ですから、そこはバッチリ決めてくださいね!
↓
③『採用』
面談の結果、あなたのレシピが採用されましたら…
さらに補足で色々と書かれている。
審査の結果、お店におかれないこともあるし、多少アレンジすることを面接の時点で提案されることもある。
見事採用されたメニューがお店の「週間注文ランキング」のベストテンに入っていた場合、翌週も継続採用となり、一部報酬がお店から支払われる。
その他にも色々と注意点は書かれていたが、もう見てはいるものの読んではいなかった。
私の頭の中には「主を失った私の料理を、また誰かに食べてもらえるのでは」という夢が広がっていた。
ボードには既にパンフレットと申請用紙が束ねて添えてあった。
それらを一枚ずつ手に取り、店先から離れる。
先に広がる日々を思い、こんなに楽しみにな気持ちで外を歩くのは本当に久しぶりのことだと気付く。
独り身になってからというもの、日々の料理は単調になりがちだった。
昔に作っていた料理の記憶をたどる。私の料理も、もしかしたらお店においてもらえるかもしれない。
…今はどんな料理が世間に受けるのだろうか。
年寄りの料理だからと言って、若者受けしない料理では採用してもらえないのではないか。
何日か考えた後、二品をまずは応募してみることにした。
・巾着どんぶり「包んでひらいて」
まずは、あぶら揚げを湯に通した後、中を開く。お好み焼きを作るように、中には細かく刻んだキャベツを基本とした「好みの具」を入れてカリッと焼き上げる。(中のトロトロ感が大切)包みの中には外せない食材としてチーズとお餅を推奨。味付けは胡椒とマヨネーズを気持ち多めに…。
どんぶりにご飯を入れ、その上に焼き上がった巾着をとんかつのように均等に切ってから乗せる。お好みで、その上から甘辛いタレをかけて完成。
・ビールのつまみにどうぞ「山頂から頂ます」
スピードメニューとして、直ぐに出せます。
店内で余った食材で…を…ます…。
それから一か月後、『わが家ベストテン』はオープンした。
開店前のお店に並ぶということなど、もう何十年もしてこなかった。
それが今、開店前の行列に並んでいるという事実に気持ちが高ぶる。
手には面接後に合格スタンプを押されたレシピ申請用紙。
隣から主人の笑い声が聞こえた気がした。
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