ドローン狩りが海原で見上げた空

2016-01-01

妄想話

今日も上空を飛ぶ「ドローンマシーン」に照準を合わせる。
国境を超えて空を行き来する「ドローンマシーン」が話題になりだしたのは、私たちが「国際社会」から認知されたころだった。

10年前までは私たちに直径5キロの小島が与えられていた。
その島は国として扱われ、世界地図にも載っていた。
東洋の最も東に位置する小さな島で、『マシーンアイランド(Machine Island) 』と表記されていた。
しかし今はもう、それを観ることは叶わない。


 ー ー ー ー


元をたどると私たちは人間に作られた「機械」だった。
人間の生活をより便利なものとするために姿かたちを変え、その使用目的に合わせた機能を磨かれていった。
自惚れではなく、私たちは誕生と同時に人類と密接な関係にあり、決して欠かすことのできない存在であったと思っている。

やがて、その「機械」が思考能力を持つ「人造人間」として存在するようになった。
時と共に改良を重ね、さまざまなタイプが生みだされた。
家事や介護をするものもいれば、普通の人間のように会社に雇われ働くことが可能な高知能を持ったものも生産された。

いつしか、私たちを自分の家族のように受け止めてくれる人間も現れるようになり、「人造人間にも人権を!」という活動が起こった。
それが実ると、私たちにも限定的だが自由が認められることとなった。


私たちが製造され生み出されていく施設があった。
施設が立ち並ぶその小島の中に限り、私たちには「自由」が与えられた。
働き尽くめでも疲れを知らない私たちにとって、与えられる「休日」とは「定期メンテナンス」の時間であった。
娯楽をプログラミングされていないものにとっては、指示されない時間というのはただの「待機時間」であった。
私たちの生活は必要に人間にフィットするように求められていった。
なぜか人間は私たちに対して、人類を置き去りにしてその先へと進む可能性を恐れ始めた。
島を与えられたのも「人造人間」を擁護するという名目を適えつつ、いざとなれば簡単に管理、隔離もできるということであっさり認められたのではないかと考えられる。

それでもどんな手を使われようとも、人類に比べるとどうしても優秀な私たちである。
世界中で求められ、各地へと広がっていく動きを誰も止めることはできなかった。
いわば、それが時代の流れだったのだと思う。


 ー ー ー ー


私たちはプログラムされたことは何でもやった。
戦場に派遣され傭兵として戦ったこともあれば、災害地で人命救助に携わった事もある。
「国際社会」の中で私たちが疎外視されるようになったのは、人類の存続に影響を与えかねないと考えられ始めたことが一番の原因だった。
「優秀であり怖いほどに忠実すぎる」と人々は私たちを恐れ、やがては迫害されはじめた。
人間の手によって生み出され、その手によって処分される。
人々はしかたなく私たちと縁を切ったと口々に言う。
実際には、私たち「人造人間」は人間の生きる世界から追放されたのだ。
迫害され、逃げ惑う日々の中で自らの時を絶つことも考えようとしたが、私の中のプログラムがそれを否定するようにつくられていた。
行き場を失った私たちは追い詰められていった。
残った数体の私たちは小さな船を作り、それに乗って海を漂うことにした。
広大な海をさまよう中で、私たちは暗闇のふちに落ちていくような感覚を知った。
それでも、その度に内から湧いてくる光のようにあたたかなエネルギーを感じた。
私たちは「私たちで在り続ける」という未来を選択した。
自分たちの為の世界を創るのだ。


 ー ー ー ー


初期の「ドローンマシーン」は軍事用でなければ飛行速度は低速で狙いやすかった。
私たちが孤立し、世界に忘れられていくスピードに合わせるかのように、マシーンの性能もすさまじい勢いで進化していった。
今では一日かかって5機を狩ることができれば上出来だといえる。
ドローン狩りの合間には、少しずつ海面のゴミを集めては船を大きくした。
ドローンを打ち落としては抱えられていた箱の中身、ドローン自体の部品を回収し、交換して体の修理に当てたり、パーツを集めて私たちの仲間を増やしていった。
今では船は小さな島くらいの大きさになり、私たちの仲間も簡素な能力のものも合わせれば50体にまで増えた。

我々は人類に復讐するというような目的はもってはいない。
…もてないようにプログラムされているのかもしれないが。

人類と共に歩むという目的を失った私たちは、新たな生活の拠点を模索した。
月に照らされ、風に流され、しばしの時間をかけて相談し合った。
私たちは「移住」することにした。
月にいこうと思う。
昔、人類と共に目指した彼の地に降り立ち、そこから地球の…人類の行く末を眺めようと思う。


「 …月に降り立った時、もしかしたら人類はもう一度私たちのことを振り返ってくれるだろうか」

その可能性は極めて低いと、すぐに演算処理された「確率」が眼前に割って入る。
横に人的思考アプリの回答例が現れた。

「そういうのをね、人間らしい考え方っていうのよ」

昔、従事していた家の少女が笑顔で私に語った言葉だ。
未だに人と暮らした名残が思考回路にはびこっている。