朝からモラルの葬儀

2026-10-13

妄想話

明け方、スマートフォンの画面が断続的に白く光っていた。見れば通知が百件を超えている。

グループチャットで、また誰かが変な動画でも送ったのかもしれない。そう思いながら画面を開くと、見たことのない通知が一番上に表示されていた。

『あなたに関連する可能性のある画像が公開されています』

何だこれ。

初めて見る、スマートフォンのセキュリティからのメッセージだった。

寝ぼけた頭で通知を消そうとしたけれど、指が止まった。

その下には、似たような通知が並んでいる。

『あなたの保存データに関連する情報が見つかりました』

『新たに三十二件の関連画像が追加されました』

『あなたについての公開情報をまとめました』

違う。セキュリティからのメッセージじゃない。

見慣れないアイコンが画面に表示されている。

こんなアプリ、入ってた?

以前、写真を一枚入れるだけで似た画像を探したり、人物の特徴をまとめたりするアプリが流行っていた。

僕も、クラスの皆と同じようにそれを使ったことはあるけど。

通知の一つを押してみた。

画面が切り替わり、黒い背景の上に、無数の小さな画像が並んでいた。

風景。食べ物。スーツ姿の人間。誰かの部屋。有名な絵画。小さな子犬。どこかの駅のホーム。

不特定多数の、世界中のスマートフォンから写真だけを抜き出して、無造作に放り込んだような。

画面を下へ動かす。

画像は次々と現れる。

その中に、見覚えのある制服姿が並ぶ画像があった。

思わずタップする。

すると似た制服の画像が画面に広がり始めた。

僕は息を止めた。

同じクラスのあの娘が映った画像。

これは文化祭の準備の時に誰かが撮った写真だ。教室の窓際で、友達と笑っている。画面の端には、僕たちが作っていた段ボールの看板が写っていた。

なんで、この画像がここにあるんだろう。

写真自体は、初めて見るものではなかった。

グループチャットに流れてきた写真だった。

僕はあの娘が写っている写真は、見つけるといつも保存していた。

僕には、あの娘を隠し撮りする度胸はなかった。廊下ですれ違うだけで、何か話しかけようと思っていたことさえ忘れてしまう。目が合えば、先にそらしてしまう。

それなのに、グループチャットに写真が流れてくると、胸をドキドキさせながら迷わず保存ボタンを押した。

保存した写真は、専用のアルバムに入れていた。

そのアルバムには、あの娘が写っている写真が数十枚あった。消す理由なんてなかった。

誰にも見せることのない、誰にも知られたくない。自分の秘密のアルバム。

その保存している画面と同じものをタップした。

その瞬間。

あの娘の顔の下に、短い文章が表示されていた。

『同一人物と推定される画像を検出しました』

『関連する公開アカウントが見つかりました』

『付随する閲覧履歴を補足しました』

『画像の撮影時期と場所について、追加情報があります』

僕は慌てて画面を閉じた。

心臓が、変な音を立てていた。

自分の秘密の、プライベートな部分が晒されたわけではない。

でも。それなのに。

もう逃げられないような気がした。

 - - - - -

僕のスマートフォンには、ほかにも人には見せたくないものがあった。

ブラウザの検索履歴。

やましい動画サイトの視聴履歴。

いや、同じ年ごろの男子はみんな。自分だけなはずがない。

はじめは興味本位で。そういう疑問に答えてくれる場所を探していたつもりだった。

でも気づけば、検索履歴には説明しにくい言葉が増えていた。

誰かを傷つけたわけではない。

誰かに知られたわけでもない。

でも、そんなことをあの娘に知られたら。

そう考えた途端、身体の内側が冷たくなった。

あの娘。

僕はそこで、ようやく気づいた。

僕が映った写真が、公開されているとしたら。

僕が何を保存していたかまで、誰かに知られてしまうのだろうか。

画面を開き直した。

検索欄に、自分の名前を入力する。

当たり前のようにいくつも出てくる。

でも、全部僕ではない。

…今のところは。

次に、自分のメールアドレスを入力した。

検索結果が表示された。

知らない文字列が画面に広がる。

見たことのない番号。日付。ファイル名。

ああ、なんて僕は愚かなことを。

その下に、小さく書かれていた。

『…関連する情報を抽出中です』

僕はスマートフォンの電源を落とそうとした。

でも、画面はついたまま。

床に思い切り、スマートフォンを叩きつける。

手が震えている。

床に落ちたそれを、僕は拾い上げることができなかった。

 - - - - -

学校へ行く時間が近づく。

でも部屋から出られない。

僕はベッドに入ったまま、どうしたらいいのかとおびえていた。

壊れていなかったスマートフォン。

通知があいかわらず増え続けている。

画面を見なくても、何かが起きていることだけは分かった。

テレビでは、今まさにその話題が取り上げられている。

『ここで、最新のニュースです。世界各地で、個人が使用するスマートフォンやパソコンなどの端末から、画像や保存データとみられるファイルが、無作為に大量公開される事態が発生しています。現時点で、原因は分かっていません』

『公開されたデータの一部には、個人の顔写真や私的な文書が含まれている可能性があり、専門家は、興味本位での閲覧や保存、転載を控えるよう呼びかけています』

画面の中の専門家は、落ち着いた声で説明していた。

『ただし、公開されているすべてのデータが本物とは限りません。画像や情報の関連づけには誤りが含まれる可能性があり、そこから人物を特定したり、別の情報と結びつけたりすることには、十分な注意が必要です』

僕は、その部分を何度も聞き直した。

全部が本物とは限らない。

関連づけには誤りがある。

それを、縋る思いで、救い言葉のようにとらえる。

でも、次の瞬間には、別のことを考えていた。

人には、知られたくないことがある。

それを隠すことで何とか生活できている人は沢山いるはず。

それらを全部、あばかれてしまうとしたら。

自分だけの秘密。

他の誰も知らない心の内に、説明責任なんてないはず。

でも、それを誰かに説明しなければならない世界が目の前にやって来た。

もう、僕には息苦しすぎる。

 - - - - -

間髪を入れず、今まで沈黙していたグループチャットが動き始めた。

『ヤバいな マジでヤバいだろ?』

『俺の小学校のときの写真出てきたんだけど』

『知らないアカウントの関連に、俺が映っている写真っぽいのある』

『これ画像タップしたらやばい、その人のことめっちゃ情報出てくる』

最後のメッセージには、落胆させられた。

『なんか誰かが、画像から芋ずる式に情報を掻き集めるやばいものを作ったらしい。

一つ画像を選ぶと、親切ご丁寧に関連する情報を、セキュリティ関係なく、侵入してでも集めようとする。

非公開アカウント、過去の投稿、同じ人物と推定される写真。全部、見境無く。見抜いてくる』

本当だ。

説明が添えられていた。

僕は次々流れてくる画像を眺めたまま、もう何も押さなかった。

けれど、押さなくても、何が起きるのか想像できてしまう。

誰かがあの娘の写真を見つける。

その写真を選ぶ。

システムが関連する画像を探す。

別の写真が出てくる。

その写真から、さらに別の情報がつながっていく。

それを見た人は、どこまでが本人の意思で公開された情報なのか、どこからが勝手に結びつけられたものなのか、気にしないかもしれない。

ただ、もっと知りたいと思う。

僕は、グループチャットの写真を保存していた。

あの娘が写っている写真を、見つけるたびに。

そのときの僕は、それが誰かを危険に晒すことだとは考えていなかった。

誰にも見せないのだから、いいと思っていた。

でも、今になって、その写真が別の誰かの手に渡ったとしたら。

あの娘は、自分の写真が知らない場所で見られていると知ったら、どんな気持ちになるのだろう。

でも、僕はもう。

何もできなくなっていた。

あの娘のことよりも。

自分の秘密が知られることだけを怖がっていた。

するとパパとママの声が、部屋の壁を越えて、僕のところまでまっすぐ届いた。

「じゃあ、どうすればいいのよ!」

「そんなこと、俺に分かるわけないだろ!」

僕はベッドの上で、膝を抱えた。

父と母の声は、次第に大きくなっていって、もう何を叫んでいるのか分からないし、なんだか家の外も騒がしい。

スマートフォンの画面には、また新しい通知が表示された。

『これは、あなたの興味関心のある画像ですか?』

その下に、一枚の画像が表示されていた。

誰かがアプリで作ったのか。

そうでないと、だって。

あの娘が何で服を着ていない姿で、ベッドに座っているのさ。

僕は画面を伏せた。

テレビの音が聞こえにくい。

ニュースキャスターの声が、父と母の怒鳴り声に重なっている。

『現在、世界各地で発生している個人データの大量公開について、政府はまもなく緊急放送を行うと発表しました』

父と母の声が、さらに大きくなった。

『この事態について、まもなく全国一斉に緊急放送が開始されます』

僕は部屋の中で、ただ息をひそめて待っていた。

皆が全てを諦めてしまうその時を。

説明しようのない、心の内が張り裂けてしまった後の静けさを。