明け方、スマートフォンの画面が断続的に白く光っていた。見れば通知が百件を超えている。
グループチャットで、また誰かが変な動画でも送ったのかもしれない。そう思いながら画面を開くと、見たことのない通知が一番上に表示されていた。
『あなたに関連する可能性のある画像が公開されています』
何だこれ。
初めて見る、スマートフォンのセキュリティからのメッセージだった。
寝ぼけた頭で通知を消そうとしたけれど、指が止まった。
その下には、似たような通知が並んでいる。
『あなたの保存データに関連する情報が見つかりました』
『新たに三十二件の関連画像が追加されました』
『あなたについての公開情報をまとめました』
違う。セキュリティからのメッセージじゃない。
見慣れないアイコンが画面に表示されている。
こんなアプリ、入ってた?
以前、写真を一枚入れるだけで似た画像を探したり、人物の特徴をまとめたりするアプリが流行っていた。
僕も、クラスの皆と同じようにそれを使ったことはあるけど。
通知の一つを押してみた。
画面が切り替わり、黒い背景の上に、無数の小さな画像が並んでいた。
風景。食べ物。スーツ姿の人間。誰かの部屋。有名な絵画。小さな子犬。どこかの駅のホーム。
不特定多数の、世界中のスマートフォンから写真だけを抜き出して、無造作に放り込んだような。
画面を下へ動かす。
画像は次々と現れる。
その中に、見覚えのある制服姿が並ぶ画像があった。
思わずタップする。
すると似た制服の画像が画面に広がり始めた。
僕は息を止めた。
同じクラスのあの娘が映った画像。
これは文化祭の準備の時に誰かが撮った写真だ。教室の窓際で、友達と笑っている。画面の端には、僕たちが作っていた段ボールの看板が写っていた。
なんで、この画像がここにあるんだろう。
写真自体は、初めて見るものではなかった。
グループチャットに流れてきた写真だった。
僕はあの娘が写っている写真は、見つけるといつも保存していた。
僕には、あの娘を隠し撮りする度胸はなかった。廊下ですれ違うだけで、何か話しかけようと思っていたことさえ忘れてしまう。目が合えば、先にそらしてしまう。
それなのに、グループチャットに写真が流れてくると、胸をドキドキさせながら迷わず保存ボタンを押した。
保存した写真は、専用のアルバムに入れていた。
そのアルバムには、あの娘が写っている写真が数十枚あった。消す理由なんてなかった。
誰にも見せることのない、誰にも知られたくない。自分の秘密のアルバム。
その保存している画面と同じものをタップした。
その瞬間。
あの娘の顔の下に、短い文章が表示されていた。
『同一人物と推定される画像を検出しました』
『関連する公開アカウントが見つかりました』
『付随する閲覧履歴を補足しました』
『画像の撮影時期と場所について、追加情報があります』
僕は慌てて画面を閉じた。
心臓が、変な音を立てていた。
自分の秘密の、プライベートな部分が晒されたわけではない。
でも。それなのに。
もう逃げられないような気がした。
- - - - -
僕のスマートフォンには、ほかにも人には見せたくないものがあった。
ブラウザの検索履歴。
やましい動画サイトの視聴履歴。
いや、同じ年ごろの男子はみんな。自分だけなはずがない。
はじめは興味本位で。そういう疑問に答えてくれる場所を探していたつもりだった。
でも気づけば、検索履歴には説明しにくい言葉が増えていた。
誰かを傷つけたわけではない。
誰かに知られたわけでもない。
でも、そんなことをあの娘に知られたら。
そう考えた途端、身体の内側が冷たくなった。
あの娘。
僕はそこで、ようやく気づいた。
僕が映った写真が、公開されているとしたら。
僕が何を保存していたかまで、誰かに知られてしまうのだろうか。
画面を開き直した。
検索欄に、自分の名前を入力する。
当たり前のようにいくつも出てくる。
でも、全部僕ではない。
…今のところは。
次に、自分のメールアドレスを入力した。
検索結果が表示された。
知らない文字列が画面に広がる。
見たことのない番号。日付。ファイル名。
ああ、なんて僕は愚かなことを。
その下に、小さく書かれていた。
『…関連する情報を抽出中です』
僕はスマートフォンの電源を落とそうとした。
でも、画面はついたまま。
床に思い切り、スマートフォンを叩きつける。
手が震えている。
床に落ちたそれを、僕は拾い上げることができなかった。
- - - - -
学校へ行く時間が近づく。
でも部屋から出られない。
僕はベッドに入ったまま、どうしたらいいのかとおびえていた。
壊れていなかったスマートフォン。
通知があいかわらず増え続けている。
画面を見なくても、何かが起きていることだけは分かった。
テレビでは、今まさにその話題が取り上げられている。
『ここで、最新のニュースです。世界各地で、個人が使用するスマートフォンやパソコンなどの端末から、画像や保存データとみられるファイルが、無作為に大量公開される事態が発生しています。現時点で、原因は分かっていません』
『公開されたデータの一部には、個人の顔写真や私的な文書が含まれている可能性があり、専門家は、興味本位での閲覧や保存、転載を控えるよう呼びかけています』
画面の中の専門家は、落ち着いた声で説明していた。
『ただし、公開されているすべてのデータが本物とは限りません。画像や情報の関連づけには誤りが含まれる可能性があり、そこから人物を特定したり、別の情報と結びつけたりすることには、十分な注意が必要です』
僕は、その部分を何度も聞き直した。
全部が本物とは限らない。
関連づけには誤りがある。
それを、縋る思いで、救い言葉のようにとらえる。
でも、次の瞬間には、別のことを考えていた。
人には、知られたくないことがある。
それを隠すことで何とか生活できている人は沢山いるはず。
それらを全部、あばかれてしまうとしたら。
自分だけの秘密。
他の誰も知らない心の内に、説明責任なんてないはず。
でも、それを誰かに説明しなければならない世界が目の前にやって来た。
もう、僕には息苦しすぎる。
- - - - -
間髪を入れず、今まで沈黙していたグループチャットが動き始めた。
『ヤバいな マジでヤバいだろ?』
『俺の小学校のときの写真出てきたんだけど』
『知らないアカウントの関連に、俺が映っている写真っぽいのある』
『これ画像タップしたらやばい、その人のことめっちゃ情報出てくる』
最後のメッセージには、落胆させられた。
『なんか誰かが、画像から芋ずる式に情報を掻き集めるやばいものを作ったらしい。
一つ画像を選ぶと、親切ご丁寧に関連する情報を、セキュリティ関係なく、侵入してでも集めようとする。
非公開アカウント、過去の投稿、同じ人物と推定される写真。全部、見境無く。見抜いてくる』
本当だ。
説明が添えられていた。
僕は次々流れてくる画像を眺めたまま、もう何も押さなかった。
けれど、押さなくても、何が起きるのか想像できてしまう。
誰かがあの娘の写真を見つける。
その写真を選ぶ。
システムが関連する画像を探す。
別の写真が出てくる。
その写真から、さらに別の情報がつながっていく。
それを見た人は、どこまでが本人の意思で公開された情報なのか、どこからが勝手に結びつけられたものなのか、気にしないかもしれない。
ただ、もっと知りたいと思う。
僕は、グループチャットの写真を保存していた。
あの娘が写っている写真を、見つけるたびに。
そのときの僕は、それが誰かを危険に晒すことだとは考えていなかった。
誰にも見せないのだから、いいと思っていた。
でも、今になって、その写真が別の誰かの手に渡ったとしたら。
あの娘は、自分の写真が知らない場所で見られていると知ったら、どんな気持ちになるのだろう。
でも、僕はもう。
何もできなくなっていた。
あの娘のことよりも。
自分の秘密が知られることだけを怖がっていた。
するとパパとママの声が、部屋の壁を越えて、僕のところまでまっすぐ届いた。
「じゃあ、どうすればいいのよ!」
「そんなこと、俺に分かるわけないだろ!」
僕はベッドの上で、膝を抱えた。
父と母の声は、次第に大きくなっていって、もう何を叫んでいるのか分からないし、なんだか家の外も騒がしい。
スマートフォンの画面には、また新しい通知が表示された。
『これは、あなたの興味関心のある画像ですか?』
その下に、一枚の画像が表示されていた。
誰かがアプリで作ったのか。
そうでないと、だって。
あの娘が何で服を着ていない姿で、ベッドに座っているのさ。
僕は画面を伏せた。
テレビの音が聞こえにくい。
ニュースキャスターの声が、父と母の怒鳴り声に重なっている。
『現在、世界各地で発生している個人データの大量公開について、政府はまもなく緊急放送を行うと発表しました』
父と母の声が、さらに大きくなった。
『この事態について、まもなく全国一斉に緊急放送が開始されます』
僕は部屋の中で、ただ息をひそめて待っていた。
皆が全てを諦めてしまうその時を。
説明しようのない、心の内が張り裂けてしまった後の静けさを。
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