悲しみの淵

2018-04-10

妄想話


「ひさしぶりだね」

小さな山の中腹にある、誰も居ない、誰が管理しているのかも知れない。
そんな教会の前にある朽ちたベンチに腰をかけて。
暮れていく街並みを眺めていたら背後からそんな声が聞こえた。

「また、さがしもの?」

淡々と話しかけてくるその声に対して、返事はいつも通り返すことはしない。
でも、風に吹かれ、桜の花びらが夕日を薄くさえぎる。
その淡い色がボクの心の内で揺らいでいた強がりを曖昧にさせたのだった。

幼い頃から、この地で生まれ育った。
ある日、空襲で街が焼かれて、両親も姉も、ともだちも、皆が焼かれて。
その時、自分は独り取り残されてしまうという悲しみを、唐突に突きつけられた。

運命が変わった、あの日も、この教会の前にいた。
姉が、冬に結婚式をあげることになっていた。
歳の離れた、大好きな姉へのおくりものを思いついて、深夜に家を抜け出したのだった。
冬に生まれたのに桜が好きな姉。
季節を跨いで、花びらを保存しておこうと。
でも、それが独りこうして小山に入り浸るきっかけとなってしまった。

あの日からというもの、桜の咲く季節にこの場所を訪れると、きまって姿の見えない声が先ほどのように聞こえてくるのであった。
あれから、何度も桜の季節は訪れた。
空襲があってからは桜の樹も数年間は花を咲かせなかったけれど、それでもこの季節が巡るたびに自分はここに。
年月はあっという間に過ぎ、もう自分は姉と同じ年齢に迫っていた。
その間、桜の樹は少しずつ、花びらの数を増やした。

「さがしものはみつかったかな?」

「…今日で、あの頃思い描いていた、おくりものに必要な桜の花びらがやっと集まった」

姿のない声に応じたのは、はじめてだった。

「これを姉の結婚式に。
 雪の降り積もる季節に生まれた、その名を持つ姉に。
 自分なりのおくりものがしたかったんだけどな」

ぽつりぽつりと、姿のない声に向かって話しかけて、沈黙があって、やっとまた、姿のない声が返ってきた。

「じゃぁ、もう?」

「そうだね」

もう、やり残したことはない。
思い残すことはない。

「ずっと、未練がましく居残ってしまって…」

夜中に家を抜け出して、薄暗い教会の外灯の下で桜の花びらを拾い集めていたはずなのに、いつの間にか辺りが明るくなり、手のひらは真っ赤に染まっていた。
花びらも、後ろにあった協会も、桜の樹も山の木々も。
目の前にある全てが、そして、自分が焼かれていた。
あまりに唐突で悲しかったんだと、自分では思う。
こんな存在になっても、桜の花びらをかき集めることを理由にして、皆と一緒にこの世界を離れなかった。
そう、怖かったんだ。
皆と同じ時間に消えたはずなのに。
独りぼっちで吹き飛んだ、悲しさと不安が受け入れられなかったんだ。
でも、もう。
大丈夫なんだ。
雪に負けないほどに、たくさんの花びらを集められた。

「…このまま眠ってもいいかな、ここに」

「この季節が、またきたら。きっと、ずっと、あたしはあなたを想う」

「そうか。ありがとう」

「…おやすみなさい」

「おやすみなさい…」