息子が残した夢の続き

2015-12-18

妄想話


畑仕事をしていると、誰かが近寄ってくる気配を感じた。

振り返ってみると、1人の若者が立っていた。

 

「あの…タキくんの、お母さんでありますか?」

不安げな顔で、そう話しかけてきた。

はじめてみたはずの若者の姿に、なぜか息子の影を感じた。

生きていたのならば、もう25歳になっていたはずだ。

目の前の男も同じくらいの年齢だろうか。

少々疲れた。てぬぐいで汗を拭うと、どうぞと畑の裏にある、小さな家の中へ案内する。

 

入れたてのお茶を。誰かに出すのも久しぶりなこと。

男の向かいに座って、私も一緒にお茶を口にする。

息子が戦地に行ってからは、ずっと一人で生きてきた。

散らかるような物も、なにもない、静かな家だ。

 

男は迷っている様子だった。

時折お茶をすする音と、壁に掛けられた振り子時計の「コッコッコッ」という音だけが居間に聞こえる。

少しだけ顎を前に出して、今にも話し出そうという仕草を見せるものの、そこから中々言葉が前に出なさそうだった。

 

 

「…あと一月もすれば、少しずつ、夕暮れ時には涼しくなりますね」

「そうですね」

 

「今年は台風も少なくて。ボクの地元では米も良き具合に…育ってきています」

「そうですか。それはよかったです」

 

「…」

「…」

 しかし、なぜか沈黙も苦にならない。

「茶をおかわりなさいますか?」

男はそこからゆっくりと話をはじめた。

「あの、…今日はお話ししたいことがあってきました。タキくんのことです…」

 

男は5年前に終わった戦争から、2年経ってようやく本土へと戻ったそうだ。

あの戦争の時、所属部隊が息子と同じだったという。

はじめて出会った時の国の名前、部隊の名前、その時の戦場の様子を時の流れに沿って、順に語ってくれた。

戦争の最中、息子と話した何気ない会話の内容も、思い出せる限りに伝えてくれようとした。語りに懸命な姿勢がみてとれた。

その会話の向こうに、過去の息子の姿が浮かんでくる、そんな気がした。

 

 

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タキの母親を目の前に、何とか口を開くことが出来た。
少し安心して話を続けられている。

顔のつくりがタキによく似ている。母親似だと言っていたが、その通りだ。

あの戦争の頃のこと。これまでに他人には語ったことがなかった。どのように話したらいいのかと困ったが、タキとの思い出を合間に挟むと、戦地の記憶、隊員達の姿、彼等が口にした言葉や仕草が、順を追って、鮮明に蘇ってきた。

 

苦しいことや悲しいことばかりが重なり、理不尽な現実にただ身を置くことしか許されず、今でもあの地獄を生き抜いたという気がしない。ただただ日々を。何とか安静でいたいと。頼ったりすがったり出来るものを、あの頃は戦場にも関わらず常に求めていた。

そして今、よくわかることがある。その求めていたものを私は戦地で得ていた。

戦友のタキだった。

 

タキはよく隊員の髪を切っていた。私もいつも切ってもらっていた。

十分な用具は無かったが、切り終わった後に頭部を撫でると指通りの良い、すっきりとした気持ちよさを感じた。

周囲の評判もよく、遠目に見るタキはいつも誰かの髪の毛を切っていた、そんな記憶がある。

虫がつくのでなるべく短い方が衛生的だったが、タキは頭の形や髪質、そこに遊び心も加えて、明日の命も分からない兵士に「日常」を与えてくれた。

「美容師になりたいんだ」と、その夢をタキから何度となく聞いた。

しかしその夢を語るタキ自身の髪形は歪だった。

「自分のはどうでもいいんだ」そういいながら笑った顔が今も忘れられない。

 

 

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目の前の男は昔話をするうちに、少しずつ表情がほぐれて和かな顔つきに変わっていった。

息子はこの男と一緒に過ごした中で、今の私のように大切な人への思いを馳せる時があったのだろうか。遠く離れた異国の地で、同じ時を生きていた。たった一人の大切な私の息子。

私はあの子を身篭ったその日から、一日も息子のことを思わない日はなかった。

それは、息子を失ってしまった、今も、これからもずっとだ。

 

 

男が思いがけない言葉を口にした。

「今日は一つ、お願いがあってきたのです。タキくんのお母さんの髪を切らせていただけませんか?」

 

息子が語っていた夢には続きがあったそうだ。

「美容師になって、その腕を振るう最初の相手は母にしたい」

男は、その亡き息子の夢を約束に変えた。

自身が美容師になるための勉強をし、先日試験に合格したそうだ。

 

男は脇に置いていた鞄を開くと、手短に支度を済ませた。私は庭先で切ってもらうことにした。

昔から、息子にはよくそこで切ってもらっていたのだった。

男の手が微かに震えているのを感じた。はらりはらりと、私の髪の毛が落ちていく。

ふと、気付く。
ハサミを入れる手順が息子と全く同じだということに。

その瞬間、私は後ろから「母さん」と息子に呼ばれた気がして、思わず「おかえり」と声を上げそうになったのだった。