「真相は穴の中」β版(区切り削除なし)

2026-06-21

真相は穴の中

  

「なんでもない日、おめでとう」
村長に呼び出され、そう伝えられた。
私は今日、また一つ年を重ねたことになる。
四年前、自分が取り上げた羊から頭数を増やし、そして、その内の一頭を自分の手で捌くことが出来たからだ。
十歳という年齢はまだまだ未熟者なので誇らしげに振る舞うことは出来ないが、周りの人の目をみれば、私はなかなか筋がいいようにみられているのを感じる。
なにより憧れの村長に褒められたこともあり、少し浮かれてしまっていた。
私は用件は済んだという場の雰囲気に逆らい、この村の外の世界の話をせがんだ。
こういう時くらいにしか、今はもう村長と会話をする機会などないのだ。

 

村長の話によると、こういう形で歳を重ねることは世界ではめずらしいという。
私たちの民族は見た目や年月で歳を重ねることはない。
何を成し遂げたかで歳を得る。
歳は行いによってはいっぺんに十の歳を得ることもあり、それらは村長がこれまでの民族のしきたりに習って判断して告げる。
この村人は産まれた時に一歳であり、良き行いを重ね、だいたい百歳にもなれば村長になれる。歳が上の者ほど村の中心人物として崇められる。
よって、村長は一番の年長者である。
この習わしは、何百年も昔から変わらない。
そしてまた、これもめずらしいという話だが、犯した過ちにより歳が減ることもある。
たとえば、同一民族の争いやケンカで怪我を負わせたり傷つけたりした時には、村長を筆頭に、歳の上のものから順に五人が集い、減歳会議を開く。
減歳対象には他にも盗みや悪意のあるウソ、村の行事への不参加など色々とあり、大まかにとれば他人に迷惑をかけたり和を乱す要因となることが当てはまってくる。
減歳の結果、もしも歳が零歳にまで減った時、処罰が与えられる。
村から通じる道の先に高い霊山がそびえ立っているのだが、その山頂にはぽっかりと大きな穴が空いているそうな。
処罰の執行はその底の見えない、大きな穴の中へ突き落とされるのだと聞いている。
私が生まれてからは一度だけあったらしいが、私は一歳だったために覚えていない。

 

 

日が霊山に隠れると、村の中へ冷たい空気が降りてきた。 
その日の晩、減歳会議が開かれた。
いつも突然のようにして開かれる。
集会場ではいくつもの松明が焚かれ、炎が闇夜を揺らしている。
それを目にする時はいつも胸が苦しくなり、明かりが消えてしまうまでは呼吸が浅くなる。

今日は私にとって、嬉しいことと悲しいことが同時に起きた日だった。
村長が加わらない減歳会議は、村の長い歴史の中でこれまで一度もなかったそうだ。
村はこれまでにない静けさだった。
私は村長が犯した罪が何なのかが気になって、その晩はなかなか寝付けずにいた。
不意に家の窓から外をうかがうと集会場の火が消えていた。
親や兄弟を起こさないようにそっと家の外へ出ると、集会場に近寄った。
炭と油の匂いが立ち込める暗闇の中に、集会場はあった。
中を覗き込むと、村長が一人佇んでいた。
私は柱の陰からしばらくそのまま見つめていたが、村長が静かに話しかけてきた。

 

「これから山に登ろうと思うんだ。…途中まででも、ついてくるか?」

 

表情までは見て取れなかったが、急に目の前にいる村長が昔一緒に遊んでもらった頃の兄さんに戻ったようで驚いた。
村の子どもたちは家の手伝いの後、日暮れまでの短い時間を自由に遊ぶことが許されていた。徐々に子どもが集まっていく過程で遊びの内容も変わり、いつも最後は二手に分かれ、村の囲いに沿ってぐるぐると競い合って走って周った。そして散りじりに去っていくのであった。
私はその遊びの中心にいたあの頃の村長が好きだった。
当時は村長ではなく、皆からはシュウ兄と呼ばれていた。
シュウ兄は誰よりも走るのが得意で、喧嘩っ早くて強くて、でも誰にも笑顔で接してくれる。
そして、その時は理由がわからなかったが、一緒に遊ぶ子供たちの中で「与えられた歳」は誰よりも年下だった。
私からみると、そんな「一番」が多い人だった。

 

五年前、長年小競り合いが絶えなかった異民族と大きな問題が起きた。
村の娘が行方不明になる事件が相次いでいた中、その異民族が連れ去っていたことをシュウ兄は掴み、村人がどうするかを相談している最中、一人でその異民族の在処に乗り込んで娘たちを連れ戻したのだ。
その時から、シュウ兄は「村長」へと変わってしまった。
物事はその当時ではわからないということが多々ある。
人伝いに聞くのに、私は歳が足りなかった為か時間がかかった。
シュウ兄は物静かな人になった。
時折り、祭りや宴の席ではかつての明るさを見せる時もあったが、「村長」は選んで独りになることが極端に増えた。

 

「あの時、人を殺したんだ」

村長は静かに語り出した。

 

 

 

 

ー ー ー ー 

 

 

…つづきます

俺は村に戻るなり、当時の村長に正直に話をした。
連れ去られた娘たちを敵対する民族の村から連れ出す際、数人の男達に見つかり囲まれた。
これまで多くのケンカをしたが、加減は弁えていた。
でも、その時の俺は見境なく、その男達を殺めてしまった。
相手が本気で闘う姿勢を見せようが見せまいが、そんなことは関係なかった。
どこかでずっとそういうことを思い描いていたのだろうか。
人を殺める術が頭に浮かぶのを何となしに眺めているうちに、その囲いは解かれた。
娘たちを先に逃し、それからは追ってくる者たちをその都度殺めた。
…人殺しは重罪だと昔誰かに教えてもらった。
でも、それがなんで罪になるのかという答えを明確にしてくれた人は、俺の傍にはいなかった。

 

 

「村へ戻らずに、どこかへ行こうとは思わなかったのか」

当時の村長は俺にそう聞いた。
何も答えない俺に対して、村長が次に告げた言葉の意味がよくわからなかった。
私は有無を言わされず「村長」にさせられた。
異民族間での命のやり取りが大きな成果として評価されるとのことだった。
娘たちを連れ戻した件よりも、そちらの方に重きを置くという采配がとられることにどこか辟易したのを覚えている。
他民族への非道は罪にならなかった。
この村の習わしがそういう判断を下した。
もう、それ以外の答えはなかった。

 

 

・ ・ ・ ・

 

 

「俺の村長ぶりはどうだった?」

村を離れ、山道を登り始め、すこし坂道がなだらかになったところでシュウ兄は私に聞いた。
どことなく少し笑みを含んでいるように感じられて顔をうかがったが、道の先を真っ直ぐ見つめているだけであった。
村長になってからのシュウ兄はこれまでとは人が変わったようにして、村の為に尽力した。大人とかかわる時間が増え、もう小さな私達とは遊ばなくなった。
それでも、時折り遠くから村長を見かけることがあった。
その度に、シュウ兄が村長になって間もなくの頃、あの日の夕暮れを未だに思い出す。
子どもたちがケンカをしていた田畑の近くを通りかかったシュウ兄は、以前はあんなに喧嘩っ早かったのに私たちに言葉で解決することを諭そうとした。
私達は不意にシュウ兄がどこかへ行ってしまったような気がして、しばらく呆然と立ち尽くしてしまったのだった。

 

「立派だったと思います。…いえ、立派です」

私の言葉を耳にして、シュウ兄はやっと笑顔をみせてくれた。
何度も、村仕事から逃げ出したくなることがあったが、そういう時は子どもたちの遊ぶ姿を見て気を引き締めたそうだ。
村の行く末を誰よりも考え、見守ってくれていたのはこの新しい村長だった。
農作物の不作の時、原因不明の伝染病が萬栄した時、常に先頭にはシュウ兄がいた。
これまでの村長は、未明の事態の時にはこれまでの習わしに沿って祈祷を行いひたすら待つということに努めた。
でもシュウ兄は、それと同時に考え得る全ての「可能性」に手を伸ばすのを拒まなかった。
村の外や異国にも文を送り手助けを乞う姿勢には不満を漏らす者もいたが、それらの行動は結果的に有効な措置だった。
思えば、村はそういったシュウ兄の指揮の元、異文化との交流が少しづつ増え、そして少しずつ変わり始めていた。

 

 

山頂を目指して歩く二人の会話は、長くは続かないモノばかりだった。
私はその道の先にある山頂へ辿り着いてしまうことをとても恐れていた。
時折り、笑いを交わすことはあれど、徐々に近づいてくる処罰の時を意識しないということは難しかった。

 

「山の中腹を超え、ここからは少し坂が急になる。それがなだらかになった時、山頂が見えてくるからな」

少し申し訳なさそうに発したシュウ兄の言葉に、私は何も返せなかった。
そこからの会話に、きっと私は何も救われない気がした。
急な坂道に入り、これまでと歩む速度が極端に遅くなった時、シュウ兄はまた口を開いた。
体をすり抜けてゆく風の音が聞こえ始め、随分と気温も冷たく感じていた。
後ろをついて歩くことに精一杯になりつつあったが、聞き間違いでなければシュウ兄はこう言った。

 

「実はあの日、見てはいけないものを見てしまった」

 今、まさに上っている霊山の山頂にある穴から落ちたはずの者が、なぜか異民族の中に居たというのだ。
娘たちを連れて逃げ帰る中、最後に追ってきた者がその元村人だったという。

 

 

ー ー ー ー

 

…つづきます

 

村へと続く一本道まで、そう遠くはない位置まで何とか逃げ帰ってきた。
あの道にさえ入ってしまえば助けも呼べる。
そのことを告げると、娘たちの身が軽くなったのが見てとれた。
俺は娘たちと次第に距離を空け、どこまでも追ってくる男達を倒しては引いてを繰り返した。
目の前に転がる死体に小さなうめき声。
手の甲で額を拭うと褐色のべたべたしたものが張り付いてきた。
どこを触っても、同じ色のものがこびり付く。
爪の中に入り込んだ褐色をもう片方の手で掻き出そうとして、その指の爪が剥がれているのに今さら気付いた。
村へ続く道へ戻ろうと、その場から振り返ると一人の娘が俺のすぐ前に立っていた。
なぜこの娘だけここにいるのだと不思議に思い、何故そこで立ち止まるのかを訪ねようとした時、娘の視線が私の背後にあることに気付いた。
身をひるがえした直後、左腕を薄く切り裂かれた。
痛みの先には、死んだはずの仲間がいた。

 

 

そいつは何年も前に、霊山の頂上にある穴に葬られたはずの男だった。
名をラッカスと言い、仲間内ではラスと呼ばれていた。
俺と同じ年に生まれた男だった。
減歳会議の際、彼が極刑を言い渡されたことに皆が驚いた。
当時の俺のような村の暴れ者と言うこともなく、むしろその逆であった為だ。
いつも大人しくしていて、よく村人の為に酪農作業の手伝いに勤しんでいた。
特に顔だちは女受けがよく、村娘たちの噂話によく出てくる名だった。
しかし、ラスには他の者が近寄りがたい過去があった。
生きていれば誰にでもそれなりの過去はあるだろうが、ラスは小さな頃からこの村で生きるには少し辛い定めを背負って生きてきた。
父親が過去の戦の際、戦場で一人だけ隊を離れ生き延びたのを、偶然近くにいた他の隊のものに目撃されたのだ。
減歳会議の結果、父親は歳をすべて奪われることは無かった。
が、数日後には近くの納屋で遺体で発見された。自ら命を絶ったという話だ。

 

それからしばらく、ラスの家は村から孤立してしまった。
ラスはそんな周囲の視線を浴びながらも、子どもながらによく考え村の為に働いた。
数年後にはそれらの行いが認められ、村の中で力を持つほどの存在になっていた。
俺はそんな同い年生まれのラスが立派に「歳」を与えられ、積み重ねていくことが本当に嬉しかった。
ただ、俺が近寄っても返事は返してくれるが、絶対に向こうから近寄ってきてはくれなかった。
そんな距離が俺たちの中にはあった。
それでも俺は構わず、見かければ必ず声をかけた。
俺にはない、ラスの生真面目なところを気に入っていた。




・ ・ ・ ・



わたしには好きな女がいた。
でも、決して好きになってはいけない女だったことをある日知った。
それなりの歳を与えられ、村の行事ごとにも顔を出すことを許され始めた頃だった。
酒の注ぎ役をしてまわっていた時、妙な会話のやり取りを耳にした。
酒を注いでいるわたしの姿を好奇の目でじっと見ていた男が、わたしがその場を去った後に近くの知人仲間に話しかけたのだった。

「おい、あれの息子だって。みんな気をつけろよ」

本人は酒も入り、自分の声の通りの良さに気付いていないようだった。
わたしが振り返ると男は手にした酒に自分の姿を写し、静かに笑ったのだった。
それからずっと、その男のことが気になり、いつの間にか調べるようになっていた。
情報を集め、自分なりの解釈を深めた。
好きな女の父親がわたしの父を死に追いやったという結論に至った時、どこまでも自分の運命を呪った。
そして、それと同時にようやく犯人を探り当てられた今日という日に感謝した。
月日が流れ、村の祭りの夜、その父親と二人きりになるという待ちに待った機会がようやく訪れた。
村の祭りが終わり、祭具を片付け終わった帰路だった。
その父親はわたしに問いただされた時、信じられないことを口にした。

「俺が一人でいたところに、突然目の前に現れたのがお前のオヤジだった。

本当はアイツが隊を離れた目的が伝令であって、決して逃げたわけではないことはわかっていた。手にしていた文の内容からしてもそれは分かり切ったことだった。
…でも、その内容が俺を狂わせた。援軍の要請だった。俺たちの部隊は疲弊しきっていて、もう戦う術がなかった。アイツにはすぐに本隊に伝えるからもう少しだけ堪えてくれと告げた。アイツは元来た道を、ちょうど今のお前のような顔をして戻っていった。…そして、俺は手紙を破り捨てた。アイツは幸運にも独り生き延びた、ということになる」

それからしばらく、その父親はなにやら口にしていたがあまり覚えてはいない。
最後に謝罪の言葉を口にした父親の、俺だって苦しんで生きてきたと同調を求めるかのような苦々しい表情を目にした時、ここで終わりにしようと思った。
村の為にそれなりに尽くしてきたつもりだ。
そろそろ、休んでもいいころだ。
話し終えて、二人の間に急に余所余所しい雰囲気が流れた。
好きな女の父親は急に何も喋らなくなった。
謝罪に対する、わたしの返事を待っているようだった。
わたしはそのまま、父親を喋られなくした。

 

集会場にまで引きずり、腫れ膨らんだ目や歪んだ鼻を目にすると、先ほどまで話をしていたこの男の顔を思い出せなくなっていた。
そういえば、この父親は好きな女とはあまり似ていなかったからきっと母親似なのだろうなどと妙な考えを巡らせていると、やがて集会場の外から沢山の村人が集まり、わたしは取り囲まれたのだった。

 

・ ・ ・ ・
 

 

あたしはいけない女だ。
死んだはずの男をずっと好きだったということになる。
連れ去られた村は不思議な村だった。
いつの間にかあたしたち村娘は荷馬車に乗せられていた。
どこかへ運ばれていたかと思えば、次に気が付いた時にはあたしたちは格子で囲まれた部屋に入れられていた。
その部屋にいたのは、あたしともう一人の娘だけだった。
薄暗い部屋の隅には布団が置かれ、厠がさらに分かれた個室にあり、戸は外から固く閉ざされていた。
戸の横の足元に、四角にくり抜かれた横長の穴があり、そこからは朝と夜に人数分の食事が入れられた。
外の様子を探るには、うっすらと光が差し込む格子の隙間へぴったりと顔を近づけなくてはいけなかった。隙間風がうるさいほどに部屋に入り込み、目にごみが入るのを怖がりながら覗いた。
部屋の中を動き回り、小さな隙間の位置を変えながら外を見た。
目に入った景色からは、空っ風で舞い上がった土埃と、色合いの薄い建物が道を挟んで横並びになっている様子しか分からなかった。
きっと今いるこの部屋も、その並んでいる部屋の一つなのだろう。
部屋に閉じ込められたまま、何日か経ったが、誰も部屋の中には入ってこなかった。
時折り、部屋の前の道を誰かが通った。
足音が近くでする度、外の様子をうかがった。
だいたいが食事を配って回っている時に、部屋に近づいてくるだけで、その姿はむさくるしい風貌の男たちばかりがうろついていた。
そんな中で、見覚えのある男が目に映った。
昔、村にいた男で名前をラッカスといい、皆がラスと呼ぶのであたしもそう呼んでいた。
…ほとんどが、心の中でだけだったが。
それから何日か経ったある日、突如、村から助けが来た。
助けは独りだった。
村では乱暴者で知られるシュウ兄だった。
シュウ兄に連れられ、逃げ帰る道中でも死んだはずの彼のことが気になり何度も何度も振り返った。
最後の最後に追ってきたその彼の姿をみた時、あたしの思いが形となり報われたような気がした。


ー ー ー ー

 …つづきます

彼が今、目の前にいる。
でも、はたして本当に私の知っている、あの彼なのだろうか。
あたしの父親を殺害した後、彼は減歳会議によって歳を取り上げられ「零歳」となった。
そして、霊山の山頂にある穴へと葬られたはずだった。
あたしは確かにあの時、初めてその罰の執行を目の当たりにした。
穴に向かって突き落とすのだと小さい頃に耳にしたが、それは子ども達へ悪いことをしたらこのような怖いことが待っているという大人達の脅しであった。
ただ、突き落とすというのは大袈裟だが、その先にある意味合いは同じようなモノだった。
穴は上から下へまっすぐに空いていて、底に行くほど広がっていく壺のような形になっているという。一度底まで降りれば、反り返った壁をよじ登らなければ出てこれない。
到底、人の力で登り切るのは不可能だ。
縄を結い、木の足場を縛り付けた梯子(はしご)が穴の近くの堂の中に丸めて収めてある。
その梯子は、片方が堂の真ん中にある太い柱に取り付けてあり、もう片方を穴の上から垂らすことで役割を果たす。
十年ごとに開かれる神事があり、梯子の長さを占いで決め、それから村人総出で「梯子結い」を行う。
毎回、随分と長い梯子を作ることになるのだが、それでも穴の底までは達しないそうだ。
実際の執行時には、付添人たちと共に山を登り、そして穴の中に降りていくのを監視される。
そして、「ぎしっぎゅっ」と音を立てていた梯子がひとつも軋まなくなったとき、梯子を引き上げ堂へ戻し、処罰は終わりを迎えるのだ。
自分の父を失った時も、その父を殺した彼を見送る時も、取り乱すことはなかった。
どこか他人事のようにして受け止めている気がしないでもない。
それから間もなく、あたしは夜な夜な独りで外を出歩くようになった。
行先はいつも同じだった。
山頂はいつも星が降り注いだ。


・ ・ ・ ・ 



軋む梯子を一歩一歩、降りた。
それほど降りた気はしないのに、段々と周りが暗くなり、あれほど開けていた空が徐々にしぼんでいった。
足元は暗く、何かは分からないが確かにある「音」が下から空へ向かって昇って行った。
村のしきたりで梯子は十年ごとに作り変えた。
この梯子を作った時、わたしはまだ子どもだった。
処罰の話を大人から噂話として何回か耳にしていたが、忘れられない言葉があった。

「なぜか、梯子がぷつりと切れるんだとよ」

梯子の揺れがなくなったら引き上げる。
それが決まりなのだが、梯子が作られてからの年月に関わらず、引き上げた時には梯子はいつも途中で切れているというのだ。 
穴に入るとき、処罰を受ける人間は持ちものに関しては制限を特に与えられない。
わたしはこれといった持ちものを持たずに生きてきた。
霊山に入る前に身の回りの片づけをしたが、農具等の仕事道具を除けば、残ったモノは背負いの革袋一つに収まってしまうのであった。
これから死ぬというのに、二日間分の食べ物と小刀や紐などの常備品を持って入ったのは、別に覚悟しきれなかった臆病者ということではない。
少し遠出をするときの、いつもの自分で家を出ようと、ふと思いついたのだ。
思いを寄せた娘の親を殺害したとき、生への未練は捨てたのだから。
見上げた先にある地表の明かりは指の先ほどになり、身体を冷気が覆い始めた。
自分の身体はすでに闇に覆われ何も見えない。
なのに、わたしの足元は下るのを止めない。
止められないのだ。
梯子の揺れが止まった時、梯子は引き上げられる。
このまま微動だにせずに待っていれば、地表に引き上げてもらえるだろう。
しかし、この処罰にはしっかりとした「詰め」が待っている。
もしも再び穴の中から姿を現した時は、突き落とされるのだ。
子どもの頃に聞かされた話は、これらを簡略しつつ面白おかしく言い聞かせたいがための話だったのだろう。
何を頼りに、目に見えない次の段をわたしの足は探っていくのか。
冷たい風がわたしの身体を通り抜ける。
あたりを見回しても当然何も見えないのだが、風の吹くままに揺られているわたしは、想像していたよりも周りが開けた大きな洞窟の中にいるように感じられた。
しかし、その時だった。
到達点の知れない綱渡りは突如終わりを迎える。
闇の中から革袋を引く力を感じた。
わたしは抵抗したが、次の瞬間、身体が落ちていくのを感じた。
手は梯子を握っている。
わたしはどこで切れたか知れない梯子ごと、闇に吸い込まれていった。



ー ー ー ー


…つづきます

ー ー ー ー

光は遥か上空に。
まん丸い月が浮かんでいるかのようにして、その入り口は遠く小さく見える。
頭を強く打ち、声にならない痛みに耐えた先に得た、決して手の届かない絶望の光だった。
時折り雫の落ちる音が響くが、それ以外はわたしの呼吸音が荒々しく耳に残るだけだ。
しかし、なぜだろう。
じっとわたしを見張る何者かの視線を感じる。
革袋をつかまれ、引っ張られた感覚は決して気のせいではない。
梯子が切れて落ちる瞬間、微かに暗闇の向こうから何者かの息を感じた。
腑に落ちないことは、向こうからはこちらが見えているのだろうということだ。
どのように目を凝らしても、暗闇の中には何も見えない。
こんな場所で、どうやって生きているというのだ。
霊山の穴の中で、人知れず何かが生きているという事実に恐れ戦いた。

 

静かに上体を起こしたが、頭を強く打った以外には特に痛みは感じない。
手元には肩紐の切れた革袋があった。
背負っていた革袋が、落下したときの衝撃をいくらか和らげたのだろう。
袋を開け、手探りで目的の道具を手繰り寄せる。
遠出の時にいつも持ち歩く常備品の中には、様々な道具が入っている。
その中から目的の一つを探し当てた。
少々迷ったが、思い切って灯をつけた。
わたしが落下してからも十分に隙はあったはずだが、何もしてこないことを考えるとしばらくは害が及ばないと都合よく判断した。
辺りが明るくなることに安堵はしたが、そこから先に広がる闇の深さを図ることは叶わなかった。 

 

灯りを保つために、燃やせるものはすべて燃やした。
革袋に入れていたモノの多くは短時間で灰になった。
今、わずかな炎を見せるのは、わたしと共に落ちた梯子の縄と足場の木だ。
上を見上げれば、光が弱くなっていた。
外の世界で夜が訪れたのだろう。
相変わらず気味の悪い視線が傍にあるような気がしてならない。
自由に身動きが取れないまま、小さくなっていく火を見つめていることしかできなかった。
すると突然、わたしの後ろで何かが砕け散る音が鳴った。
何やら転がっているのがぼんやりとだがわかる。
それらを拾ってみて驚いた。
食べ物だった。
上から落とされた食べ物が原型を残さずに、ばら撒かれたように散乱している。
わたしは背中を丸めて掻き集めては、一心にそれらを口にしていた。

 

何者かの意図を感じる。
わたしを監視する者と、わたしを幇助(ほうじょ)する者だ。

 

 

食べ物のほかに、布切れが数枚落ちていた。
そのうちの一枚を小刀で切り分け、灯に変えることにした。
辺りを捜索してみるといくつか分かったことがある。
わたしが倒れていた場所は穴の真ん中あたりで、一方に向かって歩けばしっかりと壁が現れた。
そして、どうやら穴はきれいな空洞にはなってはいないようだ。
上を見上げて歩いてみれば、微かな入り口の光が見えたり消えたりする。
これは周囲の壁に突き出た部分があって、それがわたしの立ち位置に合わさることで入り口を隠すからだろう。
きっと得体の知れない者はその壁の出っ張りのどこかからわたしを狙い襲ったのだ。
湿り気が溜まった先には水たまりがあり、微かな水の動きがあった。壁の隙間に吸い寄せられているようで、どこかその奥へと流れ込む場所でもあるのだろうか。
その脇には木で作られたお椀が転がっていた。
この付近には誰かが生きていた形跡がしっかりと残っている。
鋭利な刃物で削られたような細かな木片が積もっていたり、穴を利用して作られた棚があれば、そには縄が綺麗に束ねられていた。他にも衣服が入っていたり、ハサミなどの小道具が集められた箇所もあった。しかし、どれもこれもが朽ちている。
やがて見えた大きな穴には、散らばってはいるが骸が横たわっていた。
その静かな佇まいは、これからわたしの身に起こることを想像させるには十分だった。


・ ・ ・ ・



久しぶりに見る火は、住処を奪われ荒らされていくようで落ち着いて見ていられなかったが、ぼんやりと照らし出された周囲の陰は懐かしい記憶を思い起こさせた。
そういえば小さい頃は、たき火の前で母から穴の外に広がる世界の話をよく聞いた。

 

一定の歳を与えられていない未熟な者が子をつくる、また産むことは許されない。
その掟を破るという罪を母は犯したのだと聞いた。
身重のからだで穴に下った娘は、穴の中で母になった。
子をおろせば穴に入ることはなかったそうだが、なぜかそれを拒んだ。そのことを尋ねると、それだけは言葉にして教えてはもらえなかった。
母はかわりに頭をそっと撫でるのだった。
そんな母は何者かに守られていた。
生きるために必要なものが、定期的に空から降って来た。
母は何も言わなかったが、きっと父親の仕業なのだろうと思った。
その母がある時、病に倒れた。
日に日に弱る母をどうにか助けたい一心で、上に向かって声を上げたが誰も下りては来ない。相変わらず、ただ物が降ってくるだけだった。
そのうちに母は亡くなり、生まれてはじめて孤独と対峙した。

時折り降ってくる食べ物などを独りで待つだけの日々が幾日も過ぎたある日、誤って火を絶やしてしまうと、いよいよ完全な闇の中に取り残されてしまった。
上から覗く小さな光だけが最後の希望となった。
しかし、灯りがなくなった日を境に、上からは何も降ってはこなくなった。

 

 

 

 

ー ー ー ー



…つづきます

これまでのあらすじ

 この村では行いが認められると村長に呼び出され「歳」が与えられる。逆に過ちを犯せば「減歳会議」が開かれ歳を取り下げられてしまう。もしも歳が「零」になった場合には、村を見下ろす霊山の頂上にある、底の知れない深い穴へ葬られるという習わしがある。

 ある日、争いが絶えなかった他民族に村の娘達が連れ去られた。村一番の暴れ者だった男は独りで娘達を連れ戻した。男はその行いが認められ、村一番の歳を得て村長になった。それからは人が変わったようにして、村の為に尽力する村長だったが、ある日その村長が「減歳会議」にかけられた。若き村長に憧れを抱いていた少年はその理由が気になり寝付けず、その晩に村長の元へ近づく。
 少年は村長に誘われ霊山の山頂へ向かうことになった。その最中、村長は他民族との争いを振り返り、
語り出した。
あの日、歳を失い処罰の為に霊山の穴へ下りて死んだはずの幼なじみを、他民族との争いの中で目にしたという。

死んだはずの男に想いを寄せていた一人の娘。
霊山の穴の中で生まれ育ったという正体不明の男。
その二人の幇助(ほうじょ)と監視の狭間で、歳を失った男は穴の中で生かされていた…。


つづきです…


ー ー ー ー



お前からすれば退屈な日々を繰り返していたのかもしれない。
生きるために穴の中でするべきことは多々あれど、代わり映えのない日々ではあった。
そんな繰り返しの毎日の中、お前が現れた。
今日はやけに上から小石がパラパラと降ってくるものだと不思議に思い見上げていると、お前が上から降りてくるのが見えた。
一歩一歩降りてくる足取りは不安げなものだった。
頭と体が一致していないのは迷いに捕らわれていたからだろう。
所々、梯子の縄が壁から突き出た湿った岩に触れているのに、お前はそれに気付いていないようだった。
不用意に触れれば手を切るような鋭さの箇所もある。
頬杖をついて気長に待ち構えていると、やがて目の前までお前が来た。
その時、上空の方で岩に縄がよじれているのが見えた。
不意に背負い袋を掴んで、縄を岩から離そうとしたが間に合わず、途中で切れた梯子ごとお前は底へ落ちていった。
それからは穴の中でお前が辺りを警戒しながら生きている姿が滑稽で仕方がなかった。
目を見開いても何も見えないらしく、微かな灯の前で一日の大半をその場でじっと身構えるようになった。
あぁ、そういえば食べ物が降ってきた時だけその場を離れたな。
あれは誰かに頼んでいるのか?
いくらか拾い残しているのを食ったが、あれは味が深くて旨い食い物だった。
焚き火の前のお前の表情はこの穴のどの場所よりも影に覆われていた。
残された命の時間を静かに焼べて生きているように見えた。



 - - - -



男が目の前にいた。
とはいえ、姿は見えない。火が消えていた。

「悪いが灯りを消させてもらった。久しぶりに目の当たりにする火は眩しすぎた。…それに、この姿を見せることは出来ない」

寒さで震える体に投げかけられた声は小さく、どこか話し方がぎこちなく感じられたが、はっきりと周囲に響き渡った。
さすがに何日も寝ないで警戒するわけにはいかず、いつの間にか横になっていたようだ。
丸まった姿勢のまま身動き取れずにいると、またその声がやってくる。

「…別に、捕って喰ったりしねぇょ…今は」

微かに笑っているのが伝わってくる。何から聞けばいいのか。
知りたいこと、知らないことがあまりに多すぎる。整理できない状況で、わたしがとった手段は思ったことをただ呟くことだった。
こちらから少しでも何かを発することで、得体の知れない者との距離をはかりたかった。

「何者だ…なぜこんな場所で生きている…色々な道具が揃えてあった…どうやって…いつからここで生きている…目が見えるのか…こんな暗闇の中で……なぜ、わたしの言葉に何も答えない?」

また、小さく押し殺したような微かな笑い声が聞こえる。
先ほど聞こえた方向とは違う角度からだった。
嬉しいのだ、と男は言った。
それに対して、わたしが何も答えずにいると男がぽつりぽつり、ゆっくりと語り出した。
男は、ここ以外の世界を知らないといった。
この穴のなかで産声を上げ、それからずっとここで生きていると言った。


そこからは少しずつ言葉を交わすことが増え、お互いに知らない世界を語る内に、いつしか常に傍で行動するようにまでなっていた。
飯を食う時も寝る時も、まるでわたしから伸びる影のようにして隣り合った。
穴の中での時間は、ただひたすら生きるために何ができるかを考え、そして動くことだった。
飲み水、食べ物は穴の中にもそれなりにあった。
男は地を這う小動物を軽く捌き水洗いして口にしたかと思えば、羽のある小動物の体液を吸ったりと手短に食事を終えていたが、わたしは必ず火を通してから食べた。
そして変わらず、夜になれば上から食べ物が落ちてきたが、男はもう食べようとしなかった。旨かったとは言うが、どうも体が受け付けないようであった。
寝る前には二人で焚き火に当たった。男は始めは火に近づかなかったがそのうち暑がることもなく眩しいとも言わなくなった。
お互いの幼い頃からの境遇に似たものを感じ、心を通わせている実感はあったが、男はどんな時でも決して自分の姿を見せようとしなかった。
薄明りの中では全身を覆う布に体を包ませ、顔は疎か、手足の先さえもわたしから見えないようにしていた。
何が秘められているのかはわからなかったが、そこには触れないことにした。
今の距離感を心地よいとさえ感じ始めていた。

そんなある日、岩の壁を伝い上り、焚き木にするための木の根を刈っていた時だ。
男がわたしに突然これまでとは違う話を持ち出した。

「なぁ…お前、外に出たいか?」

小動物の油で作った小さな松明を岩の隙間に挟んでいるだけの薄明りの中、声の出所を探ったがやはり何も見えなかった。



ー ー ー ー



耳元で男のしゃがれ声が響いた。

「おい!この娘も連れていけ!」

あたりはまだ暗い、夜明け前だった。
霊山の穴に向かって食べ物を放り投げた、その帰りだった。
いつもとかわらず、まだ静けさの残る中で家路についた。
ところが村に入る前に突然何者かに後ろから襲われた。
頭に袋をかぶせられ、激しく揺れる乗り物に乗せられた。
はじめは息苦しささえ感じたものの、すぐに慣れた。
落ち着いてきた頭で思ったことは、霊山の穴のことだった。
彼が眠っているだろう霊山の穴。
そこに何かを落とすことで、あたしは生前伝えることのできなかった思いをそのまま保っていられるような気がした。
しかし、それもどうやら今日で終わったらしい。
思いを馳せた先は、底知れぬ暗闇の中。
大切な気持ちをずっと抱えていたいという気持ちは可笑しなことなのだろうか。
忘れたくない気持ちを、あたしはなんで意識してまで保とうとしているのだろう。



ー ー ー ー



…つづきます

これまでのあらすじ

 この村では行いが認められると村長から「歳」が与えられ、過ちを犯せば「減歳会議」が開かれ歳を取りあげられる。仮に歳が「零」になった場合には、霊山の頂上にある深い穴へ葬られるという習わしがある。

 ある日、他民族に村の娘達が連れ去られた。村一番の暴れ者だった男(シュウ)は独りで娘達を連れ戻した。男はその行いが認められ、村一番の歳を得て村長となることになった。それからは人が変わったようにして、村の為に尽力する村長だったが、ある日その村長が「減歳会議」にかけられる。
若き村長に憧れを抱いていた少年はその理由が気になり寝付けず、その晩に村長の元へ近づく。

 少年は村長に誘われ霊山の山頂へ向かうことになった。その道中、村長は他民族との争いを振り返り、語り出した。
あの日、歳を失い処罰の為に霊山の穴で死んだはずの幼なじみを、他民族との争いの中で目にしたという。

死んだと思われていた男(ラッカス)は、互いに想い合っていた娘の助けと霊山の穴の中で生まれ育ったという得体の知れない者との共存によって生き長らえていた


つづきです…


ー ー ー ー



はるか遠くに見える山の尾根を静かに見つめていた。
やがてその一角の明度があがると、丸い光が昇りはじめた。
それを目の当たりにした瞬間、それまでの悲しみが癒されたような気がして、自然と手を合わせていた。
穴の中の灯りとはまるで違う、この身を貫くような、それはまっすぐな強い光だった。

「頼んだぞ…」

あいつの、ラッカスの声が聞こえた気がして、這い出てきた穴の方を振り返った。
ここからあいつが降りてきて、新しい時を刻み始めたのだ。
それまで独りで穴の外へ這い出る方法を模索し続けていたが、独りではどうにもならないという結論に達し、はるか昔に諦めてしまっていた。
それでも、今、ここにいる。
全てはあいつの御かげだ。


地表から降りてきたあいつの風貌と比べてみて、やはり人とは違う姿をした生き物なのだと感じた。手足がヒレのように平らで細長くなり、枝分かれした指がない為に母親やあいつのように器用に道具を扱えなかった。顔も目鼻がしっかり配置されておらず、人が見れば肉を大きく引き伸ばした別の生き物にしか見えなかったのではないだろうか。
あいつがこの姿を見れば距離ができるのではないかと接している間に不安になり、警戒の為に身にまとったはずの布切れは最後まで脱ぐことはなかった。
母親はこの姿をどのように思っていたのだろうか。憐れんだのだろうか。悲しんだのだろうか。いつかこのように、心通わせる誰かとまた会話をし、成長し生きている姿を想像してくれただろうか。
あいつと一緒に居ればなにか満たされるようなこの感情は、本当に不思議なものだった。
共に生活をすることに慣れてくると、ずっとこのまま穴の中でもいいような気さえしていた。あいつももしかしたら同じ気持ちではなかっただろうか。
それなのに、なぜあの時「外に出たいか?」と聞いたのか。聞かなければその可能性や希望抱かせることもなく、もっと楽に死を迎えさせてやれただろうか。

上空から何も落ちてこなくなってからは、穴の外へ出ることが急務となった。
もともと穴の住人ではなかったあいつは、穴の中で手に入る食べ物が合わなかった。
降ってきた食料はすぐに底をつき、いよいよ煮沸した水だけを口にするようになると、一気に体が衰弱していった。
それでもあいつは、半身を起こし指先を動かして、簡単には外に出ることを諦めなかった。弱った腕を支え、徐々に視力を失い始めれば寄り添い目の代わりをして作業を続けた。
まるで二人で一つの生き物のようにして動いた。
昔に千切れ落ちた幾本の縄梯子を元に、布切れを細かく刻んで編んではそれを器用に繋ぎ合わせ修復し、その梯子を幾つかの数に分けた。
何もない空中に縄梯子を浮かべて一度に昇り切ることは不可能だが、所々段々と突き出た岩を円を描くようにして回り込みながら、岩の起伏を上手に伝って行けば梯子がなかろうとある程度の高さまで昇れることを確認できていた為だ。
だが、そこから先にある困難な高さは梯子で補わなければならない。
金槌と杭がどうしても必要だった。金槌は革袋に入っていたが、杭は頼りないものが数本しかなかった。あいつが体を休めている間、岩をぶつけ合い、ひたすら作り続けた。
最後に革袋と金具を組み合わせ、滑りにくい手袋と靴を作り上げた。

「あぁ…どうやら一人分を作るのが精一杯だったようだ…」

途中であいつは小さく笑い、軽く息をついてからそう告げた。
あいつは、なかなか言い出せずにいたのだと思う。
出来上がった道具は手袋も靴も、歪な形をしていた。
密着して作業に当たる中で、その形を測り作ったのだろう。
それから程なくして、横たわったまま起き上がらなくなった。

ラッカスは一つの願いを託した。
それを胸に地表へ這い上がった。
これから山道を下る。
道の先には、母親が生まれ育った村があるはずだ。




ー ー ー ー


昨晩、村長が「減歳会議」にかけられた。
この村の歴史の中でも初めてのことで、皆が不思議に思いつつも話題にするのを避けていた。重苦しい雰囲気のまま、その日、一日は過ぎていった。
夜が明けると村長は姿を消していて、皆がその行方が霊山だと噂する最中、その会議が行われるに至った理由が突然明らかになった。
それは数枚の文面で、誰も知らぬ間に集会場の壁に現れた。
村長の名、「シュウ」という名が添えられている文面には、この村の儀式について書かれていた。
霊山の穴に関する儀式とはまた別の、「敵対する民族」との秘密の繋がりについてだった。
古くから各々の民族は狭い範囲で血縁が続き、血が濃くなることで様々な災いに見舞われることを恐れてきたそうだ。そこから免れようと近隣の民族間で取り決めを行い、娘たちを差し出す儀式を行っていた。当時は人さらいの形ではなく順を追ったものであったが、次第に関係性が崩れていくなかで、儀式だけは形を大きく変えながらも存続したのだという。
敵対しながらも、互いの民族の存続のために繋がりあったというわけだ。
取り決めの周期については、霊山の穴へ誰かが降りると進展があり、その他の要因と相まって日時が定められると記されていた。
異民族とは使節を使ったやり取りが秘密裏に交わされ、儀式の日には村の警備が手薄になるように計らっていたそうだ。
事後、その周期に巡り合ってしまった娘達と村長をはじめとした村のごく一部の者達で口を合わせ、ずっと隠し通してきたことになる。
あたしの小屋は順番からして後の方だったのだろう。
一緒に村まで逃げ帰った娘達の中には、その年、子を産んだ者もいた。
シュウ兄は当然、その儀式を知る由もなかった。異民族の男達を倒し娘たち全員を連れ戻った。
しかし、それもあと数日もすれば娘の多くは村に返される取り決めがあったいう事実を、前村長からの受け継ぎの儀で知らされたとある。
村長になり、それらの内情を酌んで秘密を守っていたものの、他国との繋がりの中で自然にこの問題を解決できるようにしたいと上の者を集めた集会で意見を述べたそうだ。
しかし、皆に反対され、結果として村長は「減歳会議」にかけられ、今はもう村には居ない。
…もう居ないのに、誰がこの文面を集会場に張り付けたのか。



ー ー ー ー


…つづきます


少しだけ辺りが明るくなってきている。
急な坂道を超えるとひらけた場所に出た。
これまでの山道とは違った、漂う雰囲気の変化に驚いた。
思わず足を止め、周りをきょろきょろ見渡しているとシュウ兄が手招きした。
私はここに来るのが初めてだった。
昔話のようにして聞かされてきた「霊山の穴」を目前にして体が強ばっていた。
これからシュウ兄は穴の中に入っていくのだろう。
恐る恐るその穴をのぞき込むが何も見えない。
しばらくの間、まじまじと見つめるが闇の深さはつかめなかった。
穴から顔を離すと、シュウ兄はいつの間にか傍にある堂の階段に腰掛けていたので、私もそちらへ寄って同じように座った。
ここに来るまでの話によると、数年前にこの穴に入る処罰を受けた人物が一人。
まだ私が歳を与えられていない頃にシュウ兄の幼なじみであるラッカスという者がこの穴に下ったそうだ。
シュウ兄が村長と呼ばれる前、私達子ども等と遊びまわっていた頃の話になる。
しかし思い返してみたが、その人物の記憶がほとんどない。
伝え聞いて、そういえばそんな人が居たということを薄っすらと思い出したが、同じ村にいながらも私が詳しく知らない人、影のような人だった。
その影の者は、村の中でも随分と遠く離れたところに住んでいて、村仕事や畑の手伝いをする時以外には顔を出さない人だった。
人は死んでしまえばどんな人でもやがては忘れられていくのだろうか。

「…やっぱり、あの…穴の中に入るのですか?」

唐突に口にした言葉は、もうずっと聞きたくてたまらないことだった。
それが気になって山頂までついてきたようなものだ。
シュウ兄が次に口にする言葉が怖くてたまらなかった。

「いや、入る必要はない。…歳は減ったが零歳ではないからだ」

私の勝手な早とちりを責めることはせず、努めて冷静に返事をした。
二人きりで刑を執行するなんてことは、よく考えてみればおかしな話だ。

「これを、鎮めようと思うんだ。その為に登ってきたんだ」

シュウ兄は手持ちの袋から何やら包みを取り出すと、それをゆっくりと解いた。
その手には、薄っぺらい皮が抱えられていて、なんだか人の頭のように私には見えた。



ー ー ー ー



穴の外に出てから山道を下った。
穴の中で感じたことのない眩い陽の明るさには多少影響を感じたが、もっとおかしなことがこの身体の異変として起き始めていた。
頭の中に不思議な意識が流れ込んでくる。
そんな瞬間が度々やってきたのだ。
母親が生まれ育ったという村に差し掛かった時、若い娘の顔が浮かんだ。
その村は何やら人が走ったり歩き回ったりと騒がしかった。
物陰に隠れて様子を伺っているとその理由がつかめてきた。
どうやら数日前に村の娘たちがさらわれたことで揉めているらしかった。
すると自然と足が動き、その村を後にしていた。
勝手にさ迷い進む足にこの身を任せ、へらへらと腕を伸ばしては口にできそうなものを手にし食い散らかした。
やがて新しい村が目に入って来たが歩みは止まらなかった。
男たちに取り囲まれると、言葉の駆け引きが始まった。
勝手に喉から飛び出す言葉は少しこそばゆいもので、それは死んだあいつの口調によく似ていた。
穴から持ち出た、丸い金属の入った巾着を大柄な男に差し出すとこの村の仲間に加えてもらえることとなった。
自ら動く意識はなくとも勝手に身体は動き、知らない言葉を吐く。
死者の化身として、この身体が操作されるのは何故だろうか。
ふと、あいつが穴の中に入ってきてすぐの頃を思い出した。
小さな焚き火の前で怯えながら辺りを警戒するあいつを、少し離れたところでじっと観察していた。あいつの心境が少し理解できたような気がして小さく笑った。
あいつはこの身体を使って情報を集めていた。
連れ去った娘達は、村の男たちに番うことを求められた。
この身体にその気持ちが沸かなかったのは、暗闇の穴の中で生まれ育ったことが関係しているのだろうか。四肢や顔がのっぺりとしていて、手の指は一つにまとまったような歪な形をしている。あいつの前でも隠していたが、穴の外の世界では常に隠し続けることが賢く生きる術のように思えた。

それから間もなくして、大柄で無尽蔵の体力を備えた独りの男が、娘たちを取り返しにやってきた。
時折り脳裏を過った娘がいたが、その娘の小屋に男達が入る前の日のことだった。

村の男たちは必死に娘たちを追ったが、それを独りの男が阻み、次々となぎ倒していくのであった。その姿は離れて様子を探るここにまで瞬時に迫ってくるような油断ならぬ恐ろしさで、何かを宿しているかのような別次元の力を使い圧倒していた。
やがて娘たちが元の村へと帰る見通しが経った頃、この身体に異変が起きた。
視線の先にあの娘がいた。
全身で息をする男のすぐ傍らに。
何度も頭に浮かんだあの娘と独りの男がそこに居る。
その光景を目前に、身体も思考も完全に自由を失い、いつの間にか手にしていた刃物を男に向かって振り下ろしていた。
気が遠くなる最中、あいつの心を感じた。
それは枯渇した命への強い憧れと嫉妬であり、この世に命を持って存在する全ての者へ対して向けられた激しい憎しみの心であった。



ー ー ー ー


相手の命の心配をしている余裕などなかった。
ラスはこれまで見たこともない形相で俺を本気で殺しにかかってきた。
これまでの誰よりも強く感じられたのは、死んだはずの男が襲ってくるという不条理な展開以外にも、様々な違和感が俺の動きを鈍らせていたからなのかも知れない。
互いが全身に傷をつくり、血まみれになりながらも、最後まで立っていたのは俺だった。殺しはしなかった。
違和感の真相を探るべく、気絶しているラスの元へ近づき顔を覗いた。
顔は確かにラスのモノだったが、こいつ自身は全く見覚えのない偽物だった。
こいつはラスの顔の皮を被った「何か」だった。
少し離れた所にいた娘が駆け寄ってきたが、同じように異変を感じたのか途中で立ち止まった。
「何か」から皮だけになったラスの顔を引き剥がしにかかった。
後ろで娘が気を失ったが、一思いに取り上げた。
両手で位置を定めないと簡単に歪んでしまうような、薄い一枚の頭皮だった。
目の部分が虚ろな空になっていて、それは何となく霊山の穴を思い起こさせた。



村長となり過去の記録を辿ったが、ラスの前にあの穴に降りたのは二十年以上前で性別は女と記されていた。
身籠った子を堕ろすのを断り、穴へ向かったとある。
隠されてきた儀式で身籠った子は許され、村の習わしから逸れた子は咎められる。
自分が生まれ育った村だとはいえ、自分が村の長であっても簡単に理解できなければ変えられないこともある。



ー ー ー ー



目が覚めると暗闇の中だった。
身を起こすと、傍らに歪な身体を隠すために覆っていた布が破れ落ちていた。
そして、その代わりのようにして大きな麻布が身体にかけてあった。
薄い手で顔をなぞるとあいつの顔は無くなっていて、のっぺりとした感触が伝わってきた。
ここは穴の中かと一瞬錯覚するが、見つめる先には月と星が浮かんでいた。
それは穴の中から見上げていたものよりも、ずっと広大で自由だった。



ー ー ー ー




「おい、村長が戻って来たぞ!息子も一緒だ!」

村長は村に入るなり、集会場に人を集めるように指示を出した。
これから語ることで、また減歳されることは覚悟の上だった。
自分を囲んだ多くの視線の前で、言葉を選びながら慎重に語り出した。
この村で隠されてきたこと。
村の外にある広大な世界のこと。
これから先、自分が村長でなくなったとしても、少しずつこの村を変えていきたいという自分の想いをゆっくりと語り出した。
これまで閉鎖的だった村を開いていく過程には、多くの衝突が生まれるのだろう。
たった今でも村人達の悩まし気な表情が重なり、不満の声が上がる。
先々のことを思うと重苦しい不安が身に迫り、声が詰まる。
足元に今朝方、一緒に戻った少年がいるのが目に入った。
憂いを感じさせながらも、それでもどこか強い眼差し向けてくれていた。
深く息をつく。身体は熱を帯びるのであった。



ー ー ー ー




霊山の山頂にまで登り、穴の傍へと向かう。
穴の脇に女物の小さな荷物が転がっている。
三日月形の曲線が入り混じった、露芝模様の小物入れだ。
薄汚れた梯子が穴の底に向かって垂れている。
覗き込んだその先、終わりはみえない。




ー ー ー ー