確かはじめの頃は「切り込みのセツナ」と呼ばれていた。
それが「死にたがりのセツナ」から「不死身のセツナ」に変わり、今では「死神のセツナ」「死神」と呼ばれ、敵に恐れられるようになった。
今や敵味方を含めて彼女を知らない者はいないだろう。
彼女は常に先陣を切って戦っていた。
所属している精鋭部隊があるにもかかわらず、争いが始まるといつの間にか最前線に赴き、使い捨ての兵たちに交じって戦う彼女がいた。
一切引くことをせず、そのまま大将を討ち取るまで、淡々と突き進んで戦い抜いていく。
「ラッパ手」の私は、「突撃」を合図する前に戦線を築く彼女の影ばかりを追っていた。
戦う彼女はとても力強く、そして美しいものだった。
まっすぐに突き進んでいく背中にいつも見惚れていた。
ー ー ー ー
私が初めて撤退の信号を鳴らした時、もうこの戦いは終わるのだと思った。
敗戦濃厚な空気の中、行く当てもなく戦地をさまよった。
生き残った部隊員はしだいに散り散りになり、この洞窟に逃げ込んだ時には彼女と二人きりになっていた。
私ははじめて彼女と戦い以外の会話を交わした。
静かな夜だった。
「第二関節のしわの部分に入り込んで消えないんだ…」
彼女は自分の両手を見つめながら、ぽつりとそうつぶやいた。
私に話しかけたというよりは、独り言のようだった。
「…何がです?」
暗い洞窟の中で、彼女の顔もはっきりとは見えない。
私の返事に、両手を差し出して答えた。
手を取り、じっと見入ってみるが、やはり黒い両手の影しか確認できない。
しかし、あらためて、細く小さな手を感じると女性だったのだと気付く。
こんな手で剣を振り回し、戦場を駆け巡り、敵を鎧ごと切り裂いていたのだとはとても思えなかった。
「…どんなに手をぬぐっても、皺に入り込んだ血の塊が取れないんだ」
そういえば、休戦中の彼女はよく自分の手を見つめながらうずくまっていた。
皆が疲弊しきって死人のように倒れ込んでいる時も、賑やかに酒を飲み交わしている時も、彼女は独りが多かった。
「…もし、生きて帰れたらどうしたいですか?」
どう考えても生き延びることは不可能だと思っているうえで、なぜかそんなことを聞いていた。
これまでの戦いで、何度も誰かに問いかけたい場面があった。
でも、それを口にすることで嫌な事が起きてしまいそうな気がして、誰にも言えなかった。
「私は帰るところがないんだ。…だからこの先、生きていたら、またどこかの国の傭兵にでもなるのだろう、そう思う」
また、という言葉に彼女との距離を感じた。
「…じゃぁ。生きてこの戦地を逃れたら、私の里に来ませんか?」
「キミの里はこの戦いが終わった後、残るものなのか?」
すでに私が生まれ育った地は、この所属している国に滅ぼされたのであって存続していない。下手に会話をつなげようとするものではない。
「じゃぁ、逃げませんか。逃げられるところまで、一緒に。一緒に戦います」
「一緒に?ラッパ吹きのキミとか?」
彼女がまっすぐに私を見つめている。
その目には私をお荷物扱いするような思いは含まれていないようだが、ただそれを任務として遂行するかの如く、その道を私の奥に見出そうとしているような悩みが見て取れた。
しばらくの沈黙の後、彼女がぽつりと呟いた。
「とりあえず、もう少しだけここで休んでいてくれ。私は食べ物を探してくる」
脇に置いてあった水筒には、わずかばかりの水が残っていた。
それを彼女と分け合って、私はこの洞窟で待つことにした。
もって、あと一日二日くらいの命だろうか、などと思いを巡らすと急に生に縋りたくなってきて呼吸が乱れ始めた。
ラッパに唇を当てる。これを吹き鳴らしている時の自分が好きだった。
でも、この合図で敵味方を含めた多くの命が失われたのだ。
ー ー ー ー
洞窟の外から物音が聞こえた。
洞窟の奥へ静かに逃れるが、それほど深くない。
やがてそれが男数人の話し声だとわかった瞬間、体が震え始めた。
男たちが洞窟の前に立った気配を感じる。
話し声はもう聞こえない。
ラッパと短刀を両手に握りしめたまま、次に起こり得る事態をいくつもいくつも想像した。
そのうちの一つが目の前に起こり始めた。
壁伝いにほのかな明かりが確認できる。
男たちが洞窟内に探りに入って来たのだとわかると、私は死を思った。
少しづつ、確実に迫ってくる。
徐々に壁の明度が上がっている。
私ができることは、訳のわからない後悔の念が涙に変わり続ける不思議に、ただ身をゆだねるということだけだった。
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