金銭トレードされた、ある日の『流れ社員』

2016-03-31

妄想話

 終身雇用という言葉も死語となり、昔と比べればずいぶんと変わった形の労働スタイルが生まれている。

とはいえ、やはり自分の身をそこへ投じてみると戸惑うことも多々ある。

「あー、渡辺君?」

「はい」

「悪いんだけど、明日から栄耀県に行ってくれる?」

「は…?」

「は?じゃないよ…トレードされたの、君は」

「私と誰か、人員を交換するんですか?」

「いや、今回は金銭トレード。それなりの金額をいただいたから、まぁ自信をもって新しい職場に行ってくれよ。君はこれまでの職場でも欠勤がほとんどなかったんだね。そこが一番評価されたみたいだよ」

「…この職場に来てまだ一年なんです。やっと仕事に慣れてきたと思っていたところなんです」

「そうはいっても、君はそういう『流れ社員』だろ?そういう契約で生活してるんだろ?嫌なら違う働き方を選べばいいじゃないか。簡単なことだろ?」

「…簡単とか…」

「はい。これ。おつかれさん」

職場の上司は、書類の束を私に突き出すと足早に姿を消した。
書類は次の職場の仕事内容と、その職場が用意した住居の場所が簡潔にまとめられていた。

『流れ社員』には、その職場でどれくらいの期間を働いてもらうという契約期間が一切ない。なので当然ながら契約更新などもなく、職場に不要だと判断されれば、即刻その会社から去らなければならない。
とはいえ、この国ではくまなく探せば仕事の数は労働人口よりも多いのである。
「選ばななければ仕事はある」という台詞は、そういう意味では確かに間違いとはいえないのだ。
多くの人がしたがらない数多の仕事。
例えば過酷な労働時間や職場冷遇、給与の面で生活苦が目に見えているなど様々だが、こういう人が敬遠したがる仕事や職場こそが『流れ社員』の受け皿としてその日暮らしに陥りがちな人々の命を支えているのだ。

「…まぁ、ひび割れた皿ではあるのだが」

独り言が増えた。
『流れ社員』生活はもう何年目だろう。
使い物にならないと判断され続ければ、コロコロと別の会社へと、たらい回しにされ続ける。流れ着く先が近隣の会社とは限らない。地域に根を生やして生活することはとても難しい話だ。当然、親しい人が出来たとしても疎遠になっていく。



 ー ー ー ー


多くの者が私のようにトランクひとつに詰め込めるくらいの荷物を所持して生活している。
また今日から知らない、別の土地へと移る。
とりあえず手持ちの残金は3日分の生活費くらいだ。
『流れ社員』に用意された特権としては、引っ越し費用と賃貸の部屋の最初のひと月分を、属する会社持ちで用意してもらえるという点が善処といえる。
けれども部屋の良し悪しの差が激しく、毎度のことながら期待はしないでおこうと何度も心に言い聞かせる。
私は物事を断言するのが苦手な方だが、これに関しては絶対にそのほうがいい。

電車に揺られながら、車窓からの流れる景色を目で追う。
次の生活の場はどんなところだろうか。
自分が入居しそうな風貌の建物と、縁のなさそうな建物が、色々なリズムで目の前を流れる。
以前、超高齢化社会時に高齢者の介護補助付きアパートが一時的に流行ったことがあった。
今ではその時に建てられた建物の多くが空き部屋だらけとなっていて、たいがいそういう名残の朽ちてしまった格安部屋が用意され、そこに居座ることになる。

電車を何度も乗り継いで、書類に記載されていたアパートの一室へとようやく着いた。部屋に入る前に買ったコンビニ弁当を、何もない部屋の床の真ん中へ、そっと置く。
半分残っていたペットボトルの飲料を一気飲みして、弁当の脇に立たせた。
自分で運転することもなく、ただ座っているだけであっても乗り物で移動するというのも疲れる。腰に痛みを感じた。
仰向けになり、深く息を吸い込む。
横になり、体を丸める。カビ臭い。

 

私が『流れ社員』となったのは、もう他に生きていく方法がわからなくなってしまったからだ。
昔は正社員として働いていた。
学校を出て、若くして家族を持ち、夢のマイホームを買い、子どもにも恵まれた。
家族を養い、子どもの成長を見守っていくのが私の定めなのだと確信していたが、案外簡単に会社が倒産し、再就職がうまくいかず、酒におぼれ、家族に見放され…というパターンに嵌り、気付けば「流れ社員」の登録説明会に参加していた。

『流れ社員』は多くを求められない。
『誰でもできる』と会社が言い張る仕事を与えられる。
それがこなせなければ違う職場に流されるだけだ。
仕事が合えば、しばらくその企業に佇む。
閑散期にはまた流される。
上流も下流もない。
永遠に流れゆく。
ところどころ木の枝に引っかかったり、流れの渦の中であっぷあっぷしながら、しばらくその場に身を置くことはあれど、どこにも辿り着くということはなく、延々と、永遠に流れゆく。

 

…目が覚めた。
どこまでが夢だったのかと周りを見やる。
手に取ったのは冷めたコンビニ弁当だった。