深夜の静まった家々の脇を、重い体を引きずるようにして歩いていた。
そういえば最近、太陽の光を出勤時間以外では浴びていないことに気付く。
仕事場ではパソコン画面とにらめっこし続け、休憩に食事も落ち着いてとれない。
その上に残業を連日続けているとさすがに身も心も病られていくのを感じる。
アパートの入り口前にたどり着くと、錆びついたポストがくたびれた照明に照らされ、チカチカと点滅していた。
中に封筒らしきものが入っているのは、入り口を覗くとわかったが、疲れ切っていて開くのも面倒だと思ってしまう。
そのまま素通りしかけるが、なぜか胸騒ぎがしてロックを外す。
郵便ポストをあけて一通の封筒を手に取り、慎重にその場で開封した。
入っていた通知を目にした瞬間、それは今まで生きてきた中で一番の衝撃だった。
中に入っていたのはたった一枚のA4の紙だったが、それを目にした瞬間のことはきっと死ぬまで忘れないだろう。
だって、「自分の分身と一緒に生活する」なんてことが叶うのだ。
次世代ペットとして注目されている話題の「まいぺっと」が当たるとは思いもしなかった。
応募者全員プレゼント、略して「全プレ」の懸賞でもなぜか送られてこなかったことのあったこの私が、なんとたった1名に当たる大賞に当選したというのだ。
「まだまだ、世の中捨てたもんじゃない」なんて独り言を白々しくつぶやけば、これまで荒波立てずにおとなしく生きてきた人生が報われたほうな気がしないでもなかった。
- - - -
その日の晩からはいつにもまして睡眠時間が少なくり、一睡もできない日もあった。
横になってみたものの、長く目を閉じていられない。
これまで、だるく重かったわたしの体に得体のしれないモノが注入されたかのように、頭の中でさまざまな妄想が渦巻いていた。
「箱庭まいぺっと」の公式サイトを何度も訪ねては、さまざまな個所をクリックし続け、後日訪れるだろう幸せな時間に思いを馳せることを何度も繰り返した。
注意書きにも目を通し、「まいぺっと」の懸賞プレゼント企画は体験版なために、全ての能力が備わっているわけではないということを理解する。
・基本的にこちらからのアクションには反応を見せない。
・向こうからこちらに意識を向けることも無い。
・初期段階から新しく何かを覚えてくれることもない。
正規品と違う部分は他にも書かれていたが、つまり私が目にすることは始めから備わっていた動作や思考であって、「まいぺっと」に新たに学習させることは出来ないという話だ。
そして、何より正規品と一番違う部分は寿命が短いということだ。
『体験版のまいぺっとの生存日数は七日間です』
体験版を開封してからは、たったの一週間の命に設定されている。
また、「まいぺっと」は30センチ四方の箱庭の中でしか生きられず、その箱の外に出すと機能停止するように設計されている。
そして、体験版の場合、その箱の中には小型webカメラが設置されていて、体験期間は「まいぺっと」の生活映像をテストデータとして開発会社「箱庭まいぺっと」へ自動的に転送されるという。
つまり、自分の分身のプライベートが外部にさらされることになるわけだが、そんなことはどうでもよくなっていた。
寝て起きたら仕事という繰り返しの毎日で、こんなに明日、明後日のことが待ち遠しく思える日々はどれくらいぶりだろうか。
ー ー ー ー ー ー
指定された日がようやく来た。
がちがちに緊張しながら施設へ赴く。
施設でははじめに「ぺっと作成手順」と例の「注意事項」の説明がされ、承諾書にサインを求められた。
その後、専用の機械で私の体を分析してもらった。
その分析データで「ソース」が作られるらしい。
現状の私の外見から物事の考え方、癖、話し方、動き方…それらを「培養ソース」として合わせていき、小さな自分が出来上がっていく。
「培養プリンター」でにょきにょきと作られていく小さな自分を見つめているだけで、その肉片が愛おしく思えた。
他にもアイテムを買い与えることのできるオプションがあった。
費用は別途必要でなかなかいい値段をしていた。
幸い、使う暇のないお金が溜まっていたのでアパートの自室と似せて、なるべく同じようなものを買い与えることにした。
そしてその翌日、私のもとに小さな私が送られてきた。
ー ー ー ー ー
その日は、今まで一度も会社を休まなかった社畜の鏡だった私が、インフルエンザという仮病を名乗って休んだ。
「別室で仕事をしたらいい。あ?ダメか?なんなら自宅ですればいい…」と上司とのやり取りがあった為、では自宅で仕事をしますと伝えると、クソまじめに会社に行っていた為か思った以上に突っ込まれず、出社を要請されなかった。場合によっては新型インフルエンザの疑いという嘘も用意していたが、下手な嘘はつかずに済んだ。
宅配物が届いてすぐに開封すると、15cmくらいの小さな自分がそこにいた。
それを箱の外から眺めてみる。
自宅で仕事は出来なさそうだった。
箱庭の前から動けない自分がいた。
自分には子どももいなければ婚約者もいないので、家庭を持つということがよくわからないが、こういう守ってやりたいという心境が芽生えたのは目の前にいるのが小さな自分だからなのだろうか。
箱庭が自分の部屋とおなじ作りになっているためか、今の自分をそのまま上から見下ろしているような錯覚に陥る。
そこには滅多にない休日の自分がいた。
椅子にもたれ、ひたすらぼーっとしている。
思い出したかのように、オプションで購入した、爪の先ほどの箸と「コンビニ弁当」をピンセットでつまんで分身の目の前に置いてみる。
ぽつぽつと、「まいぺっと」が弁当つついては口にする。
出前を頼んだ私は、それをむさぼりながら見下ろす。
食事を終えた「まいぺっと」はすぐに隣の部屋で布団に入り、小さないびきを立てて寝入った。
おなかの膨れた私も眠くなったが、寝ている小さな自分を見るのが新鮮で、意味もなく言葉を投げかけた。
「…おぃ」
「…なぁ。寝てるのか?」
「久しぶりの休みだな」
「疲れたか?」
「そうか。ゆっくり休んで、また……」
「今年のお盆は、正月は実家には帰るのか?」
「…さみしくないか?」
「おぃ…」
「…お前のことは、俺が一番わかってるからな」
小さな布団が小さくうごめいている。
この「まいぺっと」は私の縮図だ。
寿命は短い。
自分で自分を看取るとはどんな気持ちだろう。
こんな具合に自分を身近に感じられるようになることで、何か世の中が変わったりするのだろうか。
施設での説明の中には、将来的には恋人同士が「まいぺっと」を持ち寄り、偽装結婚されてその将来性を確認してみたり、事前に「まいぺっと」に医療を施して、その経過を見たりすることも考えているとあった。
私の小さな分身は7日を過ぎると献体となり、これからのサービスに役立てられるらしい。
こんな私でも、世の中にちょっとした影響を与えるという手助けができるらしい。
「よかったなぁ。なぁ、お前…」
やがて重くなってきた瞼に抵抗することなく、まいぺっとの横でわたしも目を閉じた。
ー ー ー ー ー
「…先生、これで本当によかったのでしょうか?」
「…どういうことだね?」
「彼は最後まで認識することがなかった…当選者として選ばれた彼は過労死で、すでに死んでいるというのに…」
「「まいぺっと」を原寸大にして、命というものを、「果たして生身の人間と同じように愛でることができるのか」というテストはひとまず終わった。
当選したという、いくぶん創られた記憶も機能していた。
いいデータが採れたんじゃないか?
ただ、それだけのことだ。
ん?…そういえば今の君のような表情を彼もしていたね」
「…先生、まさか私も実は…なんてことはないですよね?」
「…さぁねぇ、どうなんだろうね」
巨大な目が天井からのぞき込んでいるような気がして、思わず上を振り向いてしまう。
「ちょっと、ふざけないで下さいよ、先生…」
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