隣に座る彼女が面白いゲームがあるから、と小声でささやきながら、俺の開いたノートの上に通信端末をもってきた。
なんで授業中に、このタイミングで。
相変わらずこの娘の考えが掴めないなぁ、と思いながらチラリと目をやると画面にはその掴めないはずの特徴を上手に捉えた、隣に座る彼女によく似たキャラクターがいた。
彼女の顔を伺えば、授業中の顔に戻っていて正面を見つめている。
俺が視線を戻すと、腕は引っ込んでいた。
その授業が終わって放課後に突入した瞬間だった。
キミもやってみようよ、とそのゲームに誘われる。
思春期だか成長期だかしらないが、数時間前に学食でたらふくカレーを胃に詰め込んだはずなのにもうお腹が鳴っている。
その腹の音が届いたのかは知れないが、おごるからさ、ゲームについてのことでちょっと付き合ってよ、ときたもんだ。
彼女がこの言葉で俺を誘い出すときはいいことが起きた例がないのだが、目の前の餌に弱い俺は断ったことが一度もない。
俺たちは付き合っているわけではない。
にも拘わらず、部活をサボって放課後を一緒に過ごしたり、休日に映画を見たりする仲だ。
でも、だからといって俺は彼女のことを恋人としてみていない。
この前は、ハンバーガーを三つご馳走になったあとに、服選びに付き合わされたのだが、俺は彼女の好みがさっぱり理解できなかった。
『これとこっち、どちらがいいと聞かれてもさ、俺はどっちも嫌だ』
と思った答えを素直に口にするのだが、その言葉が空気を震わせ彼女の肌を伝って耳に入り、頭の中で処理されるまでのどこかが絶対にイカレテいて、じゃぁこっちにするね、と場面が流動的に展開される。
そんな時はフリーフィールドゲームを頭の中で思い浮かべる。あってもなくても差し当たりのないイベントがこれなのだと、ただ、現実では時が流れ、そこで生まれた凝固することのない感情が、この自由なはずだったこの世界に、俺から零れ落ちた。じんわりと、確かに俺から生まれたものが世界に溶け込んだんだと解釈して、沈黙を貫くことにしている。
疑問に思っても追及しない俺に問題があるのかも知れないが、どこまでも自分本位で変換して生きている彼女を止めることは無駄なことだと思っている。
隣り合っていてもそれぞれが違う人と通話したり、けっして同じものを食べなかったり、それに彼女にはパパと呼ぶ年上の付き合っている彼氏だっている。
なんだろう。
たぶん、彼女も俺も変わり者なんだと思う。
なぜか彼女といると変に自分を取り繕ったりしなくていい。
楽だ。
でも、彼女と一緒に居る時の俺は。なんでだろう、自由ではない。
受験も、部活も、将来も、恋愛も。
よくよく考えれば、何も二人の間に割り込んできて邪魔するものなんてないはずなのに。
…そんなものに、引いて裂かれてたまるか。
ー ー ー ー
「そんな錯覚がここにある」
ファミレスでポテトをつまみながら、隣り合った彼女が一言つぶやいた。
俺はゴホゴホと喉元でポテトをバウンドさせながら、彼女が転送してきた映像をメガネで覗いていた。
「Blood borne」
タイトル画面には見覚えがあった。
「Blood found」という名の血液事業を行う民間会社で、新興企業として少し前にニュースで取り上げられていた。
その企業活動は、国も人種も生物をも超えた貢献と題して、人間だけでなく、他動物の体液も取り扱うという変わった会社だ。自社の運営するクリニックでは、ダイエット効果や免疫向上を謳った血液を仕立てるなど新しい試みも施している。顧客の血液を預かり、精製した血液を体内に戻すという処置は、芸能人の口からも度々健康法としてメディアに語られるそうだ。
彼女が誘ってきたゲームアプリは、定期的に開催される献血イベントで自らの血を差し出すことでゲームへの参加資格を得ることできるのだが、中高生の間で爆発的に流行っていることもあり、イベントはいつも行列ができていて人数制限が設けられる。
彼女は先日、このイベントに日も登らぬうちから徹夜並んで、見事に血を抜かれたというわけだ。
イベントの献血後に渡された封筒には、ゲーム参加の注意事項等がまとめられた書類が入っていて、そこに身長体重などの身体のデータを記入し、顔写真を添えて郵送すれば、後日、ゲームアプリ専用パスワードが送られてくるという。
ゲームのプレイヤーは仮想世界に自分そっくりのキャラクターを移住させて、そこで他の住人達と協力してモンスターを狩ったりして交流を楽しむというものらしい。
その世界では献血した血の量に応じて、武器や小物、素材などのアイテムと交換することが出来るのだが、一個人では献血回数に限度がある。
そのため、彼女は俺を献血に行かせて、アイテムを自分に貢がせようというのが魂胆らしい。
ー ー ー ー
あれだけ流行っていたものでも、いつかは日常に溶け込み、やがては廃れてしまうもの。
でも「Blood borne」はプレイヤー達にそっぽを向かれなかった。
逆にその人気は月日を追うごとに加速し、世代を超えていった。
しかし、それがある日、事件へとつながった。
一人の青年が、夜の公園に集まっていた同年代の男女、合わせて5名を金属バットで殴り倒すという問題が起きたのだ。
監視カメラの映像と被害者の証言を元に青年はすぐに捕まえられたのだが、その時の証言に「Blood borne」という言葉が出てきたのだった。
「遊ぶ血が欲しくて、ほかにも何人かを殴り倒して、血を奪って逃げた
持ち込んだ血をゲームのアイテムに変えてくれるところがあるってネットで知って…」
連日のテレビ番組では、ゲームが与える青少年への影響を頻りにまくしたてた。
この青年の言葉をきっかけとして、「Blood borne」というゲームアプリは閉鎖されることとなり、程なくして大元の会社も経営目的は達成できたとして、世界的な献血機関にその事業を受け渡すという、流動的な顛末を迎えたのだった。
ー ー ー ー
「思いのほか、早く獲れましたよね」
「狙った人物、動物。たった少量の血液サンプル欲しさに、まぁよくやったもんだ」
「…ここから先はまた違うメンバーが受け持つそうですが、僕はむしろそっちに行きたかったんですよ」
「まぁ、俺たちの目標は達成できたんだからいいじゃねぇか。
仲間も予定通り、無事に機関に潜り…引き継がれていったしな」
「次は?何か目ぼしい案件ってあるんですか?」
「…いや。しばらくは活動から身を引く。もしかすると戻ってこないかもな」
「…嫌になりました?僕のこと。準備段階から考えると五年は一緒でしたもんね…」
「いやいや、キミじゃない。ちょっと他におもしろそうなこと思いついてな」
「え?ここよりもおもしろいって。それってよっぽどなんでしょうね?
気になるな、楽しそうで」
「…キミは本当に好きなんだな。この集団…『alias』のこと」
スーツ姿の男二人が、雑居ビルを出たところで立ち話をしたあとに去っていった。
その裏にある柱の陰で俺は彼女を長く待っていた。
得体の知れない古びた雑居ビルにトイレを借りにいくところが、俺にはやっぱり理解できない。
斜め前のコンビニではだめなのか。
「無国籍活動集団、alias。ねぇ。さっきのあの二人の話って、本当なのかな」
突然、彼女が耳元で声量に配慮することなく話しかけてきた。
気配を消したまま急に後ろから話しかけるな、と彼女に言いたくもなったが、おどろきで波打つ鼓動を隠すようにして、努めて無言を突き通した。
足早に駅前の中心街に向かう。
後ろから彼女がねぇねぇ、と話しかけてくるが歩みを緩めない。
腹が減った。
あぁ、今日はこのあと牛丼でもおごってもらおう。
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