遅咲きにて狂い咲き

2017-04-09

妄想話

実はこれまで一度も働いたことがない。
このままだと近い将来にたいへん困る事態に陥るのではないか、という不安に苛まれたのが幼少の頃で、確か7歳くらいだったと思う。
ませた子であった。
ひと月も通えなかった小学校、そこから引きこもり続けた日々。
3つ歳の離れた姉がよくできたためか完全に両親にそっぽを向かれ、私は早い時期から精神的な部分で親離れしざるを得なかった。経済的な面ではずっと脛をかじり続けていたが。

ひとり部屋にこもって、ひたすらゲームばかりしていた。
朝夕関係なしにコントローラーを握り画面と向き合い、家の中が静まればこっそり部屋を抜け出してスナック菓子を漁り、時には紙幣を抜き取り深夜のコンビニを徘徊して回ったが、咎められることは一度もなかった。
独り夜道を行く私は、誰よりも孤高な存在のように思えた。
明日も明後日も明明後日も、延々と自由にこの世界を堪能する権限が与えられいるような、そんな錯覚は心地よいものだった。



 ー ー ー ー


それはある日のこと。
何気なく鏡をのぞき込むと、その視線の先に不気味なものが映った。
やせ細り、青白く頬のこけた髪と髭の長い仙人のような自分がそこにいた。
三十路に満たないその男からは覇気が微塵も感じられないばかりか、半開きの眼は起きているのか眠っているのかさえ定かでない。
ここから更に日々老いていく自分を思うと、時間が惜しい、命が惜しい、そう思った。
部屋の外から父親が亡くなったと聞かされた時には何も感じなかったのに、急に死ぬのがたまらなく怖くなった。
まぁ当然だが、そんな不安を感じ始めてからも、結局一度も社会に出ようとして行動することはなかった。
そんな中でも、姉だけは私のことを度々気にかけてはドア越しに語り掛けてきた。
長きに渡って引きこもり続けた習慣は心を腐らせるには十分すぎるもので、人はいつでもそう思った瞬間にやり直せるし、何歳からでも始められるなどという類の言葉など、どこか遠いお空の星に何千何百光年の歳月をかけて願い事を届けるというような、夢物語にしか聞こえなかった。
他人の冒険簿に心を沸かせることはなく、どんな歌にも心躍ることはない。
喜びの数も悲しみの数も、指折り数えたことなどないが、そんなものはゲームの世界で全て経験できることだからと姉に語ると、隔てたドアの向こう側から鼻をすする音が聞こえるのであった。


 ー ー ー ー


ここまできて、そんな何の人生経験もない自分が語るのも何だが、それでも独り言を語りたくなるときだってある。

「ほんとうに人生とは、人間とは分からないものである」

いつしか、ただ生きているということだけで、他人から関心を向けられるようになった。
今日は278歳になった。
いや、実年齢ではなくゲームの中の話だ。
現在の私は50歳。
いい歳した大人がゲームで生活をしている。

胸に手をやると心臓がトクントクンと鳴っているのがわかる。
人の心臓の鼓動は平均で20億回ほど行われるのだという。
死へのカウントダウンだ。
ゲームの中の私と、現実の私。
死ぬのはどちらが先だろう。

今から20年ほど前、一国の富裕層の遊びとして開発されたゲームがあった。
そのゲームのタイトルは「荒神-ARAGAMI-」というタイトル名で、二つの敵対する星を舞台に、プレイヤーは仮想傭兵になり戦争に参加するというゲームである。
そのゲームは特殊で「月額基本料金」という一つの目安を用いて説明すると、何の装備もない傭兵ひとりをただ操作するだけでひと月に約20万円かかる。
それとは別に無料の傭兵も用意されているのだが基本能力値が格段に低くなっている。
これは一般庶民充てに配られた餌であって、富裕層に駆られるためのカモでしかない。
当時の私は、その弱い使い捨ての傭兵として戦争に赴き、幾多の死線を潜り抜けた。
生きるために必死だった。
たぶん、その原因は私にあるように思うが、家族が散り散りになり、途端に生活に困り出したからだ。
そんな中で、このゲームに憑りつかれる様にしてのめり込んだのだった。
なんといっても、このゲームは画面の中で手に入れた物資が現実世界に反映されるという夢のような話が叶うのだ。
例えば缶詰を拾えばタイムラグはあれど、翌日には宅配ボックスに届くのだ。
戦地の街中にある食べ物や日用品は提携企業とのタイアップによって、いわば広告の展示品を好き勝手に手に入れて良いというシステムになっていて、それらを自軍の基地に生きて持ちかえることが出来れば、生活物資はゲームから現実世界へと半永久的に装填が可能となる。
食うために強奪し、生きるために他のプレイヤーを陥れた。
その狂気じみたプレイが運営側の目に留まり、やがて私はいわゆる招待戦士として格上げしてもらえた。
使用料を免除されたうえで、傭兵の能力値を上げてもらい、さらにはオプションの武器等の費用も運営側もちで面倒を見てくれるという、まさに雇われた身となった。
そう。私は働きはしなかったが、仮想世界では使命を持って戦い続けた。
契約条件は簡単なものだった。
この戦争ゲームを盛り上げること。
利益になりそうな場面には隅っこから手を伸ばし、プレイヤー同士の会話には聞き耳を立て、内乱が起きればおもしろそうだと口を挟み、広報活動と題して敵味方を混乱させたりもした。
たぶん、プレイヤー達にはバレていないからゲームの中で生き続けられている。
間もなくして、ゲームも食事も排泄も風呂も睡眠も、掛け合わせて同時に済ませられるという器用な人間に私は変わっていった。
恐らく、私の他にもそのような廃人が多く世に溢れることにつながっただろう。
ゲームの世界に入り浸ることで、現実に影響をもたらすこのゲームは特にアクの強い、いや、史上最悪なゲームとして忌み嫌われ、今では無料からの新規ユーザーはほとんど入ってこない。入ってもすぐにベテラン傭兵に狩られるのが落ちだ。
何も有用な物資を持たない新人傭兵がすぐに目を付けられる、その最もな理由の一つに命の取引がある。
有料プレイヤーがゲームで負傷した場合、自らの寿命を削って治療に充てるというシステムである。
たとえば銃弾を肩に受けたとして、それを回復するために寿命を3年分削ったり、重症であれば寿命の半分を宛がうといった具合だ。
普通の人間ひとりの人生など、100年もあれば立派なものだが、当然それだけでは足らなくなってくる。
だから、このゲームは生き延びたければ人を狩って、奪った命を自らの寿命に付け足していくのだ。
プレイヤーはただひたすら、モニターを通じて人殺しを繰り返す。
将来性がある人物を殺めるほど、自らの寿命が加算されていった。
ゲーム内に存在する武器を持たない民衆を亡き者にするまで、そう時間はかからない。
時には赤ん坊ですらも。


 ー ー ー ー



最近、また別の新しいゲームに手を出し始めた。
とはいえ、戦争ゲームの中で生まれた、ミニゲームのようなものだ。

衛星画像と防犯カメラの記録をもとに、年代別に再現された仮想世界が舞台だ。
そこで私は40年ほど時を遡り、小学生に戻ってあの頃の生活をやり直している。
毎日、姉と一緒に家を出て学校に通っている。
授業も給食時間も放課後も、いつも誰かが傍にいてくれる。
日が暮れて家に着けば、母がおいしいご飯をつくってくれていて、そこにタイミングよく仕事場から帰宅した父が座り、皆でそろって夕飯を食べるのだ。
画面の中で寝る時間になった時、妙な悲しみを感じた。
この世界でもやっぱり時が経てば皆は年老いていく。
そして死んでしまうのだ。
それは悲しい。
あぁ、でもその時が来ればもう一度初めからやり直そう。
時間は死ぬまで無限にあるのだから、何度もやり直せるさ。

突如、敵の襲来が伝達された。
銃声が暗くこもった部屋に鳴り響いた。




 ー ー ー ー









…妙な違和感を感じさせる、女性の容姿をした傭兵がいた。
IDは「セツナ」という名前だった。
どんなに負傷しても、次の瞬間にはケロッとした顔をして敵陣に切り込んでいく。
どれほどの死線を潜り抜けた先に、その無尽蔵な命のタンクを築き上げたのかは知れない。
ただ、その動きは妙に生々しくて、まるで現実にいるようにさえ感じられた。
あの女キャラが視界に入った時には一目散に逃げだした。
無謀な戦い程、命を削るものはない。

 

…それはまた、別のお話。。