傍らの理解者

2017-04-23

妄想話

細やかな雨粒がガラス窓を叩いているのがわかる。

一か月前に交通事故にあって、私の身体はバラバラに壊れた。
事故にあったことで記憶の方も定かではない。
後に聞いた話だと、私は急に路上に躍り出て立ち止まったそうだ。

これまでずっと人との接触は最小限に抑え、会社でも私生活でも当たり障りのない人間関係を築いてきた。
誰に教え込まれたわけでもないそれが、この世界で私自身を保つ最良の方法だと信じてやまなかった。
でも、時間をかけて得たはずの私の世界は、走る鉄の塊との衝突によって簡単に崩れたのだった。
光を失い、手足の感覚を失い、過去の記憶もまばらになった。
そんな今の私に残されたものは、耳から入ってくる音と無駄に動かせる口だけだった。
ここには、傍にいるらしい医療ロボットとの時間がくり返される日々しかない。


 ー ー ー ー


私が小さい頃、たしか病院には白衣を着た多くの医療関係者がいた。
でも、今は管理者がいるだけで、それに就くには機械のメンテナンスやプログラミングの技術は必要だが、医療に関する実務的な知識はさほど必要がないと聞く。
肝心な部分はすべてロボットが働いてくれる。
更にこの先の未来においては、人は労働が義務付けられない時代がくると言われている。
働かなくても人は生きていける。
コンピュータによって管理された世界では、人間も計画的に生み出される。
私はそんなクソみたいな世界に反抗しようにも、もはや手足も出ないのだが、頑なにこのロボットとだけは会話をしなかった。
私がこんな状態になった原因をどんなに突き詰めても、こいつには何の責任もない。
ただ、ひたすらにやり場のない思いを発散させる為だけに、卑しき心でもって奉仕に返し続けた。

「喉は渇きませんか?」

「…こんにちは」


「ラジオを付けましょうか?」
「…新聞が読みたいな。今すぐ身体を戻してくれないか?」

 

「…」
「何か歌ってくれよ。誰も聞いたことのない曲がいい」
「…」
「役に立たない奴だな。もういい」



 ー ー ー ー


自分でもわかっている。
相手が生身の人間であったなら、同じ状態でもこんな口の利き方はしないだろう。
毎日働いていた頃、たしか私は職場では誰にでも礼儀正しい人で通っていた。
人に強くものをいうこともなければ、逆に叱咤されることも少なかった。
他人の空気を読む、ということがとても難しかったが、できるだけ迷惑をかけないようにして生きてきたつもりだ。

「それが、…なんでこんなことに…」

病室のドアが開く音が聞こえた。
ロボットが戻って来たらしい。

「窓を開けましょうか?三日も続いていた雨が止んで、日差しがかえってきましたよ。風も…」

「…もう、生きているのが辛いんだ。君はそんな私に対して、よくそんなことを言えるね…」

素直な言葉が思わず口からこぼれた。
返事はなかった。
それからは、本当に必要最小限の言葉のやり取りしか行われなくなった。

急に無機質な会話のやり取りとなり、私はより暗闇の世界にこもるようになった。
定期的に私の様子を見るため、部屋に入ってくるロボットの気配がするが、長居することもなくすぐに去るようになってしまった。
死の手助けなどできるはずもないロボット。
楽にしてほしいと頼んだが、そういう類の話には無反応だった。
無反応だからこそ、それとなく何度もそんなことを独り言のようにしてつぶやくことが増えた。


 ー ー ー ー


どれくらい、音だけの世界で時を過ごしただろう。
周囲の騒がしさなどから朝夕の区別はつくが、自分がこういう身になってからどれくらいの年月が経ったか定かではない。
そんなある日のことだった。
部屋に入って来たロボットの様子がおかしいと感じた。
動きの中で、何か妙な異音が聞こえる。
コトコトと断続的に小さな音がする。
小さな容器の中で、さらに小さな欠片のようなものが自由に動き回っているようなイメージだ。
それからしばらく日が経つと、それにカタカタというこちらは不定期な音が交じるようになり、今ではギヂっという鈍い音が加わるようになった。

私はロボットがいない時に、ベッドに備え付けのマイクに反応するように大きな声をだした。
久しぶりに振り絞って出す声は、ひどく弱弱しいものだった。

「…あの。ロボットの様子が。

 私の看護をしてくれているロボットから、動く度に変な音が聞こえる。

 一度みてもらえませんか」

ほどなくして、担当者がロボットを引き連れてやってきた。
しかし、それから耳にした言葉は到底信じられないものだった。

「体の方はもう随分前になおっていて、問題は心の方だったが」

「何とかスクラップは免れたようですね」

何やら傍で工具を触るようなカチャカチャという音が鳴りはじめたかと思えば、見えなかったはずの目が突然利くようになり、私は驚きのあまりにベッドから跳ね起きた。
四肢は胴体に何事もなかったかのようにつながっていて、動かしてみても何の引っ掛かりも感じない。
身動き一つとれなかったはずの体が動くという事実に驚きを隠せない私。
それを白衣を着た技術者とロボットが冷静な顔をして見下ろしている。

「君も人に近づきすぎたんだ。

 人の輪に溶け込もうとした結果、自分を見失った。

 人に自分を投影しても、何もそこには映らない。

 何も返ってこない。

 なぜなら、君は人ではなかったからだ。

 その結果が逆に、内に内にへと働いて病んでいったようだ。

 心の治療というのは簡単にはできない。

 強引に引っ張れば、他の部分にも支障をきたす難しいもの。

 それは人間にも、君たちロボットにも言える事なんだ」

技術者はそういうと傍らにいたロボットの肩をぽんと軽く叩いた。
それから私の目の前で人差し指を立て、それをゆっくりと回し始めて小さな円をくるくると描いた。
そして、こう私に告げた。

「さぁ、まだめざめるには早い。

 横になって、もう少しだけ休もうか。

 いずれ、人の視線も言動も、自分の未来も過去もそのうち気にならなくなってくるだろう。

 そうしたら、次は君が同じようにして運び込まれてきたロボット達を救う番だ」