かつて、この島国は今のように統一された一つの国ではなく、三つに分かれた小国があったと伝えられている。
今でこそ不自由なく資源が隅々まで行き届いているようにも感じられるが、その昔は極端な自然環境で国が分かれていたそうだ。
ある国では、渡り鳥が糞に混ぜた種を雨のように上空から撒くというのに、ほんものの雨がほとんど降らずに枯れた大地で緑に飢えていた。
またある国では、土壌の改良も難しいような硬岩に大地を塞がれ食べ物に飢えながらも、良質な鉄や鉱石ばかりはよく取れた。
残りの一国では、年中分厚い影に覆われてしまう暗闇の地だが、雲をも超えるほどの大きさをもつ巨大な大樹のもと、水だけには困らなかった。
それらの小国は隣国の資源を求め、争いの歴史を記し続けたそうだ。
どうも各々の国は疲弊しきっていたはずらしいのだが、合図もなく始まった争いは、その止め時を見失っていたと伝え聞く。
それが諸説はあるが「大樹のしずく」と呼ばれる天令が下り、突然に争いは止み、今のような一つの島国にまとまったそうだ。
今でもその名残があり、この国は「三ノ国」と呼ばれている。
ー ー ー ー
月明かりの下で、息をひそめる一人の男がいた。
この男は傷を負って戦場を逃れる最中、巨大な大樹の足元に身を寄せた。
複雑に交じり合う太い木の根は幹の周りにいくつもの空洞をつくり、地面から隆起した大きなうねりは、大地を捻り上げるかのように力強く、どこまでも伸びていた。
また、どれだけ体を逸らして見上げようとも、巨大な大樹はその先が知れないくらいに星空へと続いていた。
それは何とも不思議な樹で、小枝を切れば、それだけで水がしたたり落ちてきた。
幹に近寄れば、そこはまるで川岸に立っているかのような感覚に包まれた。
男は幼い頃に聴力を失ったが、きっと、周囲にはさらさらという音が響いているのではないだろうかと思ってはそっと目を閉じ、記憶の音を脳裏に奏でてみる。
小枝で喉を潤ししばらく休むと、男は傷をかばいながら、その水源を辿るかのように、ゆっくり、ゆっくりと月のあかりだけを頼りに大樹を登りはじめた。
戦場に戻ることは、もはや考えなくなっていた。
手持ちのリュックに入った食糧はすでに尽きていた。
この大樹から得られる水だけでどれだけ動けるものかわからなかったが、どうせ死んでしまうのならばと、無意識に静かな場所を求めていたのかもしれない。
やがて、大樹以外には高いものが何もないという位置にまで達したとき、日が昇り始めた。
男は、生まれて初めてこの国の形を知った。
この巨大な樹の陰に隠れた暗闇の国、その隣には男の生まれ育った岩山だらけの国、そしてその横に、上空からでもわかるほどに乾ききり、ひび割れた地をもつ国。
男は、大樹の枝を商売道具のノミと金槌を使って切り取ると、枝から滴り落ちてくる水で喉を潤した。
傷を負った箇所は膿み始めていたが、極楽のような景色に身を置くことで、その先への不安も少しだけ和らぐような気がした。
しかし、何気なく見渡していたその景色に不穏なものが入り混じっていることに気付く。
男はその時、この大地の外側から訪れる脅威の存在にはじめて気付いた。
乾いた土地に降り立つ小さなまたたきは目を凝らすと鳥のようであった。
その鳥のようなものが渡ってくる海の先に目をやると、不思議な点がちらほらと見えたのだ。
それは海に浮かぶ無数の船で、この島国に向かってこようとしていた。
男は急いで降りて皆に知らせようと思い立ったが、しかし降りたはいいが、その先はどうしたらいいのかと自らに問うと答えがでなかった。
男は耳が聞こえず、誰かにうまく物事を伝えるということが苦手であった。
だから、戦に出ていないときは刃物を研いだり、その刃物を使って岩を砕き、彫っては石像を造り、それを生活の糧にしていた。
男は手元にあった枝を見つめ直すと、それから何かに憑りつかれたかのようにして刃物を大樹へと一心不乱に振り下ろし始めた。
ー ー ー ー
目の前にそびえたつ木が折れたのかと、そう思ってしまうほどの振動の後、上空から大きな雫が降ってきた。
いや、正確には木で出来た彫り物だ。
それが海まで続くという大きな川にばしんと落ちると、天まで届くような水飛沫をあげて私たちの戦に割って入って来たのだった。
途端に皆の目が、その大きな木彫りに釘付けとなった。
木彫りは大きな船で、そこには幾人もの人の形がみられる。
その格好は戦支度をしたものばかりで、見たこともない武器のようなものまで組まれていた。
木彫りの船は大きく旋回すると、大樹の影の先、海の方へと進んでいった。
船が揺らぐと、その造りがあまりにも立派なもので、もはや本物のようにしか見えなかった。
戦場はしんと静まり返り、皆が何かの支持を仰いでいるようだった。
すると、また次なる船が天から降ってくる。
これは何事かと、敵味方が川を挟む形で一斉に下流へ向かってくだりはじめた。
やがて、先に落ちた船が海へ辿り着くところが目に入ると、瞬時に男たちは声を荒げた。
なんと、その更に先の海の方から、多くの船がやってくるのが見えたからだ。
3つの国はそれまでの争いを取りやめ、急遽その船に備えねばならなくなった。
これまでに海の外から何者かが攻め入ってくることは一度もなく、皆が慌てふためくなか、しかしまだ天から落ちてくる船はやむことはなかった。
やがて、近海の周りを木彫りの船が囲みだした頃、その先に見えていた船は姿を消し、にらみ合いは終わった。
3つの国はそれからは争いをしなくなった。
影に覆われていた国は大樹の上部が削り取られ、木造の船として海に流れ出たことで日照りを取り戻し、ひび割れた大地の国へと水を運び入れることにした。
その大規模な工事を鉄鋼資源の豊富な岩山の国が受け持ち、その見返りに緑に満たされた国から作物を貰い受けた。
ー ー ー ー
かつて、この国は3つに分かれていたという。
枯れた地と硬岩の地と暗闇の地があり、争いが絶えなかったそうだ。
しかし、それも随分と昔の話。
今年も大樹の剪定が無事に終わり、冬を越せばまたあたたかな春がやってくるだろう。
そういえば、樹から降りてきた一人の剪定師が飲み仲間の私にこっそりと教えてくれたことが今更ながらに気にかかる。
その話によると、大昔から大樹の幹のてっぺんに造りかけの一体の木彫りの像があるそうだ。
ノミと鎚を手にした男の姿の木像が、まるで今にも打ち始めるかのような綺麗な状態でずっとそこにあるのだという。
しかも、なぜか大昔の戦支度で身を固めているという。
いい加減な話をするなと軽く窘めると、登った人間しか信じられないだろうがと寂しそうな顔をしたものだから、最後まで話を聞いてやったのだが。
続けて出た言葉は、像の両足が樹と一対になっていて、そこを切り離せば地上へ返せそうなのに、なんせそこらの刃物では大樹の幹だけは硬すぎて彫れないという。
私は、それならばその木像を彫った肝心の道具を探せばいいと返したが、そんな大そうな代物は今の世界のどこを探しても見当たらないのだという。
私は大樹のてっぺんを想い、必要に仰ぎ見た。そんな現代にない代物が造られた世界のことを想像してみたが、やはり皆目見当がつかなかった。
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