遺思~妻とまだ見ぬ我が子へ~

2016-11-06

妄想話

二人で、静かに食事をしていた。
少し離れたところで、テレビが音を立てている。
ニュース番組は「少子高齢化問題を抱える政府の試み」と題して、ある一組の老夫婦を取り上げていた。
その夫婦は、子どもを育てるだけの経済的余裕がないままに結婚し、30年が経過している。年齢的に考えるとすでに子供を望めないが、今となっては子どもが欲しかったと後悔する気持ちがあるそうだ。
現状でも、余裕がない生活は相変わらず続いていて、その日暮らしともいえるのであった。

 ー ー ー ー


「…ここまで、説明させていただきましたが…どうですか?

 お二人の遺伝子を残したいとお望みですか?」

担当者を招き入れたのは私たち自身だ。
病弱の妻は少し背を曲げてベッドに横になり、私は狭い部屋の真ん中にあるテーブルをスーツ姿の男性と囲んでいた。
この形式で会話をするのも何度目になるだろうか。

私が役所の専門機関に電話をした当初の目的と大きくかけ離れたところで、しかもよりによってこんなに事の重大となる問題を投げかけられるとは思ってもみなかった。
当然、その選択は簡単にできるものではない。
言葉に詰まる私に対して、担当の男は何度も聞いた話を、再び帰り際の言葉に選んで話し始めた。

「これまでにも、わたしに何度となくお話の機会を与えてくださいましたね。

 わたしは、お二人がこの制度を利用する目的で呼ばれたのではないことは重々理解しています。
 しかし、その上で提案させていただいたことには理由があります。

 今、この国ではいわば『口減らし』で若返りをはかりたいという考えがあります。

 100年以上も前の話になりますが、戦後の成長期のような経済発展、人口爆発を目標に掲げております…そのために…」

急に意識が遠のいて、男の口元だけが目の前にあり、何かを私たちに告げているのだが、もう、話が入ってこない。

生活資金が欲しかった。
生活を支援してもらいたかった。
妻が独りでも生きていけるような安心が欲しかった。

病弱な妻とは私の少ない収入だけで生活を共にしてきたが、私に余命を宣告される難病がみつかってからというもの、妻の今後のことが大きな気がかりとなった。
働き手の私がいなくなってから、妻が独りでどうやって生きていくのか。
そのことを考えると、とても申し訳ない気持ちでいっぱいであった。
行政機関を頼ろうと縋る思いで連絡をすれば、話は思わぬ方向へと走りだし、今、こうしている間にも事態が深刻化していることを思うと気が気でなかった。

隣の寝室のベッドで妻が咳込む。
私の体調もそうだが、妻も最近は体に力がなくなっていくように感じられた。
背中をさすってやろうと立ち上がり、歩み寄る前に、ふとその流れの中で担当の男性に告げた。

「よろしくお願いします」

私に残された時間は長くはない。
振り返りざまに小さく会釈すると、男性は思わぬ返事に笑顔をみせた。
素早く鞄から新たに書類を抜き出し、それをテーブルに重ねた。


 ー ー ー ー

担当の男が帰り、白髪交じりの妻が寝るベッドに近づけば、そっと持たれてため息をつく。
歴史は繰り返されるという。
大昔に「姥捨て」という習わしで、口減らしをする地域があったそうだが、それと同じことなのだろう。
遺伝子操作と医療技術の躍進によって、費用に糸目をつけないのであれば男女の年齢に関わらずに子を培養カプセルで誕生させることが出来るそうだ。

私が承諾したのは、その取引だった。
老齢者の援助と新生児の育成、どちらに重きを置くかの選択を国が明確にしたことで、一部の富裕層のみに与えられていた選択肢が公にされた。
道徳心や宗教観も変えてしまうとあれだけ騒がれたのに、私のようなもの達が後を絶たず「承諾」するものだから、国がそこに目を付けたのだろう。

今やサイン一つで、生命の誕生も、遺棄も思いのままだ。



 ー ー ー ー
 

私と妻の子があの部屋にやってくるまでに半年ほどかかるそうだ。
それまでに、予定通りに事が進めば私はこの世にいない。
病で命を落とすと思っていたものが、新生児誕生の代償としての安楽死になるとは、人生わからないものである。
この制度の上手くできているところは、自分の代わりに誕生する命を目にすることなく死ぬことだ。もしも私が自分の子を腕に抱いたなら、もっと生きていたいと気が変わるような気がする。
だが幸いなことに、私は病死することが決まっているからそれが受け入れられたのだと思う。


 ・ ・ 1か月後 ・ ・

男女の二人が出会い、子をつくり、時が流れる。
子は成熟していく。
夫婦は年老いてゆく。
顔のしわが濃くなり、シミが出来て、髪が薄くなっていく。
その傍らで、子は大人になり、また親と同じように命の連鎖につながれていく。

単調な映像が流れる安楽死施設の待合室で、名を呼ばれるのを待っていた。

「まだ少し時間があります…産まれる前の胎児の映像をご覧になられますか?」

私にこの制度を紹介してくれた担当者が付き添いでやって来たのだが、営業時の語りは鳴りを潜めて物静かであった。そんな彼がようやく口にした言葉がそれだった。

「いいえ。結構です」

彼は小さく頷くと、改めて姿勢を正し、私と一緒に椅子に腰かけて時間を過ごした。

やがて、私は名前を呼ばれた。
担当の彼は席を立たない。

「残された妻と産まれてくる子どものこと。

 くれぐれも、よろしく頼みます。

 …あぁ、それからあなたのお仕事である、国のこともね」

自然と言葉が出てきた自分に驚いた。
その悪戯に彼はいい返事をかえしてくれた。

処置室までの廊下の脇には大きな窓が連なっている。
その外では、葉色を変え始めた木々がたくさん映えていた。
妻が歳に見合わない我が子を抱く時、若葉の季節が訪れているはずだ。