遅ればせの育児

2016-09-25

妄想話

拾い損ねた空き缶が足元に転がった。
重い腰を屈めると自分も老いたものだと思い知らされる。
これまでにわたしが飲み干したビール缶は、何千本くらいに及ぶのだろう。
振り返れば、それぞれの場面には必ずお酒が絡んでくる。
仕事終わりに、寝る前に、休日に。365日、それを何年も繰り返した。
そして、お酒が元で仕事を失い、家族を失い、住まいを失い、身体が欲する分量のアルコールも満足に買うことのできない今、それまでに空けてきた缶を拾い直すかのような生活に身を投じていた。

わたしの横をスーツ姿の若者が大げさに避けて通り過ぎていった。
風呂には一月ほど入れていない。
人が見れば、不衛生な体でうろつく姿に不快感を覚えるかもしれないが、何か大きな犯罪を犯して生きているわけでも、責められるほどの迷惑をかけて生きているわけでもない。自分なりになるべく世間に迷惑をかけないようにして、生きているつもりだ。

しかし、拾い集めた空き缶をお金に替えて、なんとかその日暮らしを続けてきたが、それももう限界のように感じられた。自力で生活費を掻き集めることが困難になってきた。
長年の不摂生がたたったのだろう。
昔は真っ直ぐだった手足の指の関節が変に曲がり、両脚はパンパンに腫れ上がっている。しかも最近は、その患部が膿んできているようで痛みによって思うように動けない。

それでも不幸か幸いか、無駄に頑丈なこの身体は、まだまだ命の鼓動を止める気配がしなかった。 



ー ー ー ー


国が運営する「集団生活保護施設」に入居してから1カ月が過ぎようとしていた。
道端で倒れていたところを保護されたらしい。
4畳半の部屋の窓からうかがう外の様子は雨風が酷く、もしも今も路上生活を送っていたらと思うと自分のことながら惨めに感じられた。
ここでは、天井に壁とで仕切られた空間が1人ずつ用意され、毎日の食事を心配もせずに済んだ。
遠ざかっていた、「最低限の生活」がこれほど裕福な環境だとは思ってもみなかった。このまま、無償でここに居続ける事が叶えばいいのにと毎日願った。
しかし、そんな甘い話はないのである。

それは、入寮して傷も癒え、生活にも慣れただろうと見計られた頃だった。
この施設で引き続き生活を続けたいのなら、これから言いわたす職務をこなせと施設長から告げられたのだった。

わたしに与えられた仕事は、育児所員だった。
まずは担当職員と一緒に1人の子どもと接するところから始まり、ゆくゆくは同じような経験を積んだ施設生活者と組んで、受け持つ子どもの数を増やしていくのだそうだ。
その話を聞いた後、ため息ばかりが洩れた。
ふるい記憶をたどってみれば、昔は家族があり、子どもは2人いた。
男の子と女の子、1人ずつだった。
しかし、家では常に酔っぱらってばかりいて、少しも子どもたちと接しなかった。
そればかりか酔っぱらっいる時、意味もなく怒鳴りつけたり、幼い子どもに酒を買いに行かせたりさせた。

その日の晩は久しぶりに寝付けなかった。


ー ー ー ー


若い男の職員と一緒にやってきた担当の子は3歳児だそうだ。
やはり接し方が解らず、初日はぽつりぽつりと話しかけてみたものの、すぐに連れ添いの職員の後ろに姿を隠すと、そのままその日は終わりを迎えることとなった。

「はじめは誰でもこんな具合ですから、気を落とさずに。また明日からも宜しくお願いしますね」

そんな明るく語った職員に対して、三歳児のその子は笑顔を見せながら去っていった。


ー ー ー ー


翌日からも、その次の日も、寝床で苦しむことになった。
おそらくその表情は路上生活の頃と同じ感じで、暗く沈んでいたのではなかっただろうか。
でも、だからといって施設に身を置く以上は簡単に放棄することも出来ない。
自分が幼い頃にしてもらった遊びを思い返してみるが、器用に藁を編んで遊具を作ったり、一緒にボール遊びをしたりするには知力も体力も足りなかった。
あれが出来ればこれが出来ればと、無いものねだりする自分は子どもと同じように思えてならなかった。

深夜、トイレに行った帰りだった。廊下の奥が図書室になっていたのを思いだし、その方へ向かった。この施設は以前、中学校だったそうだ。
部屋に電気をつけると、たくさんの本棚が浮かび上がった。
そのなかから幼い子ども向けの本が並ぶ棚を探しだし、あれでもないこれでもないと悩みながら、なんとか一冊の本を選んだ。
誰もいない受付に貸出カードを預け、一冊の本を大事に部屋まで持ち帰った。

その翌日からは職員の助けもあり、少しずつだが子どもと接する時間を延ばすことが出来るようになった。
図書館から持ち帰った本には、世界の童話が短くまとめられたものが沢山書かれていた。
職員のアドバイスの通りに、始めはお馴染みの話を読み聞かせた。
語りなれていないこともあり、何度も言葉につまったが、恥ずかしさを捨てて大きな声でゆっくりと読み上げる。
すると、子どもはわたしの奥に物語の世界が広がっているような、不思議なものを見るような顔を見せてくれた。
それからは、絵本を一緒に読んだり、絵を描いたりと少しずつだが距離が縮んでいったように感じられた。
時折り見せてくれた小さな笑顔は、遠い昔の子ども達を思い起こさせた。

 

その日も夕方になり、職員に連れられ三歳児は去っていった。
帰り際、職員はわたしに聞いた。

「どうですか?続けられそうですか?」

子どもと老人。二人を担当するのはなかなかストレスがたまる仕事だろう。
そんな申し訳ない気持ちを抱きつつも、正直な思いを伝えた。

「…どうでしょうか…行く行くは多くの園児の元で…となると自信がありません。今さらわたしに社会貢献ができるでしょうか…」

すると職員は一通の封筒を差し出してこう言った。
「あなたへ、手紙です。…人はいつからでも、やり直すことが出来ると思います。孤独だと思っていたあなたにも、気にかけてくれる人がいたではないですか。私もその内の1人ですよ」

部屋に戻りベッドに座ると、脇に封筒をそっと置いた。
長い間、自分に宛てられた手紙を受け取ることなどなかった。
いろいろと考えを巡らせている中、丁度そこへ施設で出来た仲間が、夕飯の誘いにやってきた。
続いて食堂に向かおうかといったん部屋を出かけたが、やはりどうしても気になり、手紙の差出人だけでも確認することにした。

「へぇ、あんたに手紙かい?」

少しだけ待ってくれと一言伝えると、震える手で封を開けた。

差出人は先ほど別れた職員からだったが、ちらりと見えた文面に気になる文字が見えたので、そのまま手紙を読み進めた。
そして、今の自分が置かれている状況をはじめて理解した。

 

「この度、あなたが担当することになった三歳のお子様についてそろそろお知らせしておきたいと思い、手紙にしました。お子様の前で、口頭で伝えることは憚れますので。

唐突ではありますが、実はあの子は、あなたの娘様の子どもです。つまりあなたの孫にあたります。

『集団生活保護施設』で生活を送る方々は、常に社会復帰の機会を模索され続けています。あなたの身元から家族をたどったところ、娘様と連絡がつきました。
ですが、すぐに身元引受人として名乗り出ることは出来ないと伝えられました。
それでも、娘様は確かにあなたのことを心配されています。
この度の育児に関しては私が提案させていただきました。
もちろん、娘さんの承諾を得てのことです。
私はお二方の間にある内情を伺い知ることはできませんが、良好な関係が生まれることを願っています」


すでに縁が切れていたと思っていた娘とつながっていた。
1人の若者の力を借りて。

小さく震える体も、あふれ出る涙も止められない。
そんなわたしを、仲間はそっと肩を叩いて、おうおうと宥めてくれるのだった。