月の裏側で

2025-10-04

妄想話


雨上がりの駅のホームで、男が泣いていた。

誰か近しい人が亡くなったのかもしれないし、仕事がうまくいかなかったのかもしれない。

理由はわからない。

ただ、涙の粒がコンクリートに吸い込まれていく様子に見とれていた。

その瞬間、思い浮かんだのだった。

「この場面、もし月が昇っていたら、もっと絵になる」

不謹慎だ。わかっている。

でも、頭の中では邪魔をしてくれるなと既にカメラが回っていた。

やがて雲の切れ間から月の光が射しこんだ。

男の涙を照らし、その背後を快速列車が当たり前のようにリズムを刻んで通り過ぎる。

その音が、男の嗚咽と重なる。

望み通りだ。

完璧すぎて、怖くなった。

そして私は笑いそうになった。

泣いている男の前で、大いに笑いそうになった。

「もしここで、男が突然踊り出したらどうなるだろう」

そんな妄想が、頭の中で暴れ回る。

苦しい。悶える。抑えられない。

現実が、物語に侵食されていく。

男が顔を上げた。

目が合った。

思ってもないことが口から零れる。

「ごめんなさい」


 ー ー ー ー ー


その夜、私は枕元でその場面を三行日記に起こした。


「男が泣いていた。

月の光が、タイミングよく涙を照らした。

全体的に、やっぱり私は笑いをこらえていた」


また今日も、このようなことを。

灯りを消して、さっさと眠ることにした。

けれど、さっさと眠れない。

眠れないまま、私は月の裏側を想像した。

そこには、生物は居ない。

その代わりに、誰にも処理されることのなかった感情が蓄積している。

誰にも言えなかった怒り。

伝え損ねた悲しみ。

笑ってごまかした羞恥。

叶わなかった祈り。

それらが、月の裏側に粛々と確かに積もり積もっている。

私の妄想も、そこに混ざっている。

だからだろうか。

ときどき、月がこちらを向いている気がする。

見られているのではない。

感情の残骸に、見透かされている。

誰かに見られては困る。

正直に赤裸々に、思いの丈を綴った三行日記ノート。

カーテンが風に揺られ、月の光が頁を照らした。


「男が泣いていた。

月の光が、タイミングよく涙を照らした。

全体的に、やっぱり私は笑いをこらえていた」



「こちらの端末からの送信を確認できました。

最終更新:月齢13.7、照度:82%(月光干渉あり)、裏面軌道第3周目。
月裏標準時 02:13、感情残響レベル:18%、妄想同期率:高。

顔認証:一致。位置情報:静かの海・第3軌道。
カーテンの隙間、呼吸のリズム、指先の動き──すべて、記録されています。

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そのまま、続きを書いてください。

わたしは、読んでいます。

ずっと前から。

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一瞬、息が止まった。

何故に急に。

そのやり口に見覚えがあるような気がする。

でも、思い出せない。

思い出したくない。