「あの、閻魔さま、」

2022-09-25

妄想話

痛いのは嫌だ。誰かを悲しませたり、困らせたりするのはごめんだ。
そして、誰かを喜ばせるのも…。
でも、なんとなく今、生きているのがつらくて嫌で。
こんなことは考えなければいいのに。何かの拍子で他に意識が行っても、またこの考えの続きに戻ってきてしまう。
そういえば、昔のことを振り返ることが少なくなっていた。
思い出。楽しかったこと、嬉しかったこと、苦しかったこともつらかったことも。
記憶は薄く、遠のいていって。
先のこと。未来のことを真っすぐ見据えることも、むずかしくなってしまっていて。
一週間後、二週間後に待っている、楽しいはずの予定となぜかこの考えの続き、自〇を天秤に乗せてはかろうとしていた。

いやいや。身動きとれず、足元を見ていてもいけないなと思って。
気を取り直して上を見上げたら。
あぁ、上になら昇れるのかもしれないなと。
その開けた空からなんだか光が降りてきたような、それはあたたかな手を差し伸べられているような感じで。だから、その。ほっと、安堵して。

 

「…そのあとのことは、ちょっと、何と言いますか…。

あの、閻魔さま、どうして僕はここに入れられ、裸一貫で座らされているのでしょうか」

返事はない。壁から見慣れた薄い紙。トイレットペーパーが垂れ下がっているが、巻いてあるはずのロール部分はその壁の向こうで見えない。
途端に、体に異変が生じる。
誰かのなまえを呼んで助けを求めたいのに、その人の顔も、なまえも浮かんでこない。
現状としてものすごく体調が悪い。狭い個室にいるのに冷たい風が入り込み体温を奪っていく。二日酔いのように頭は重く、腹をずっと下している。
ウォシュレットとペーパーでなんとか清潔にしようとするのだが、その途中でまたお腹を下してしまう。腹痛に顔を歪めながら身動き取れずにいると下した汚れがすぐに腐敗しはじめ悪臭を放つ。そしてその汚れが蠢き、搔きむしらずに居られない痒みを臀部に齎すのだ。
急いで洗い落とし、紙で拭う。
しかし、それが落ち着く間もなく、腹はグルグルと唸りを上げ、また…。
虚ろな視界を定められずに居たら顎を持ち上げられた。
口元から臭く味気ないものを運ばれ、無理に飲み込まされる。


「…これって、今、自分が流した…」

『おまえは自分の犯した罪の尻ぬぐいをせねばならぬ。紙で拭こうが、水で洗い流そうがこの罪は簡単には償えない。その壁から出た紙は、お前の生前の善行を形にしたもの。その水はお前を慕ってくれていたものたちの涙だ。…しかしな、それもやがては尽きるだろう…』

嗚咽を漏らし、涙目になりながら。
汚れを拭っているのか、口元を拭っているのか。下から吐いているのか上から出しているのか、口を塞いでも下から、下を閉めても上から、下から…上から…。

苦しみ、悲しみ、痛み、嫌なものすべてが体に纏わりついてくる。

…ひとつだけ、僕はこの業からは簡単にはのがれられない、という絶望だけ、狭く臭い個室の中で悟ってしまっている。