横田創『埋葬』
三十歳前後と見られる若い女と生後一年ほどの幼児の遺体が発見された。犯人の少年に死刑判決が下されるが、まもなく夫が手記を発表する。<妻はわたしを誘ってくれた。一緒に死のうとわたしを誘ってくれた。なのにわたしは妻と一緒に死ぬことができなかった。妻と娘を埋める前に夜が明けてしまった>。読者の目の前で世界が塗り替えられる不穏な《告白》文学。
-表2より-
2018.05.12
時間がかかった。
日付を跨いで今、眠い。
読むのがとても遅いのに、一端読み始めれば止まらなくなるので。
嘘。
一日、数ページずつだけ読んでいたので。
それも嘘。
嘘、本当はどっちもありき、でもないか。
殺人事件の詳細を追っている取材者と犯人の少年(死刑囚)との二人の会話のやりとりが終盤にやってくる。
そこまで、ずっと手探りで読み進めてきた。
でも。
なんで今、唐突にこういう場面に晒されるのかがワカラナイ。
でも、我慢してページをめくるとか、そういうことではない。
話を理解しようと、頭の中に想像したものを残したいのだけれど、それらがなかなか繋がりを持とうとしない。ごめんね。
何だかもう、私はこの本を読んでいるのか読んでいないのか。その不確かな自分を後ろから眺めている。
パッと本を閉じて表紙を確認すれば、全く違う本を手に取っていたとしてもおかしくないような。
読むという行為を意識すればするほど、頭の中に残らない展開もある。
本を開いて文字を覗き込む。
自分の反応をただ眺めてみる。
物語は突如視点が変わり、目的地も不明確なまま、たらい回しにされているような具合だったのに、でも、その終盤の局面が訪れた瞬間に。
たぶん、読みながら私は当てもなく手を出していた。
千手観音の腕の数ほど確信が得られないままに伸ばしていた…といえば大袈裟になるが、仮にメモを取りながら読んでいれば床一面に散らばっている紙の数々が眼下に広がっているはずで、傍から見れば、本を無造作にペリペリと破り捨て、分解しているように見えなくもない。
そんな歪で不思議な切れ端の文章群が、その台詞がはじまる、や否や、それまで生気を失い青白くやせ細っていた数多の腕が急に脈を打ち始め、血を帯び、息を吹き返した指先が果敢にそれらを掻き集め、今この時を逃してなるものかと、必死に手繰り寄せるのだ。
もう。そこからはホントに読むのを止められなかった。
翌日もお仕事なのに困ったものだわ、なんて呑気な台詞は私からは出てこない。
時計に視線をちらちらやりながら、でも、いや、もう、どうにでもなれと。
途中で時計をねじ伏せるような。
そして…読み終わり…
悔しい。悲しい。切ない。何なんだこの世界は。
誰に感情移入しているんだ私は。
読後はちょっと気分が悪いくらい。
自分の中にある暗い部分を覗き込んだような、無表情で見つめ返してくる心の闇が薄気味悪いこと。
そして、「今すぐこの小説を読んだことを忘れてしまいたい」と激しく後悔する。
「ぐぬぬ」
これではもう読み返せない、である。
なぜなら二回目はもう、そういう目線でしかこの文章群を見られなくなる。
一度きりしか許されない本。
一度きりしかこの耐え難い感情には出会えない本。
望むなら忘れた頃に、誰かに薦められて、「おや。どこぞやで見たような気がする」とか言いながら再会してみたい。
でも、本当は誰かに薦めたい。
この苦しみを誰かと共有したい。
でも、身内や顔見知りの人には薦められない。
こ、ん、な、本を薦める時点で私という人間が疑われそうな気がして怖いのだ。
そう、この本はとても怖い。
ずけずけと人の心に入り込んできては、あなたの大切な心に傷跡が後々残りますが宜しいでしょうか?なんていう前置きも匂わせたりしていたはずなのに、そこを覗いてしまったころには既に退路が断たれている。
桜木紫乃『砂上』という本を同時に読んでいた。
なぜか私の中で二つの物語が行き交うような錯覚が起きて、全く文章の流れとか違うはずなのに、どこか同じ匂いがするような気がして、その同じってなんだろうと、それが知りたくて、また「砂上」に手を伸ばしかけたのだが、読書が趣味でもない私は、明日の仕事の為とかいう理由をつけなくても仕事に行かなければ生きてはいけない現実世界にて、好き勝手に生きたいのに自分も含めて色々な人に色々な感情を抱かせてしまうので、そろそろ私は寝てしまいます。
おだいじに。
追記:
目的なく。一分かからず数え終わる本棚を弄っていて、今日は手に取る。
開くが吸い込まれそうな感じを拒否する。そういえば何か感想を残していたのを思い出し、下書きをあさった、今日という日。 当時の日付とあらすじを追加し放つ。
0 件のコメント:
コメントを投稿