深海図書館

2016-10-16

妄想話

 

歪(ひずみ)というものがある。
どのような世界にも、ありとあらゆる、なにごとにおいてもだ。
この海底はきっと、そういった場所の一つなのだろう。

ゆっくりと、まるで花びらが海中を舞うかのように。
光を揺らしながら、一冊の本が降りてきた。
ようやく、安息の地に巡り合えたのだ。

どこかの言葉で書かれた、いつかの時代の書物が。
静かに、この海底に降り積もる。


ー ー ー ー


海底に溜まる、深海ゴミの汲み上げを稼業としてから早10年が経った。
深海には海流によって滞るスポットがあるのだが、そこには様々な海中ゴミが集まる。
私は、その幾つかあるスポットの一つを拠点に、海底の掃除屋をしている。
仕事は重労働で苦痛を伴うこともあるが、前職に比べると報酬は微々たるものだ。
それでも、転職してからというもの、毎日が楽しみでならない。
いや、たしかに宇宙服を改造したような、汗まみれのむさ苦しい深海スーツを纏い、グロテスクな面立ちの深海魚と共に海の底で働いている姿は華やかさのかけらもない。
正直、体力勝負なところはある。
そして、なによりもやはり危険が、命の危険は伴う。
でも、この苦労した仕事の見返りが、仕事終わりに必ずやってくる。
それが楽しみでならないのだ。

海底から、地上に汲み上げた廃棄物の中から、今日も目当てのモノを探す。
請負の分別収集業者に交じって仕分け作業を手伝っているように見せかけ、実はゴミを漁っている。
一日の締めくくりはそんな「ゴミ漁り」の中から今晩の楽しみを物色し、お気に入りを持ち帰るのが常だ。


 ー ー ー ー


今晩は、表紙が解け落ちた、ちょっと素手で触ることを躊躇うような、ぬるぬるした一冊の本を持ち帰ることにした。
外装は激しく損傷していて、判別できるのは、中に残った1ページだけ。
泥に汚れながらも、そのページ自体はなんとか持ちこたえていた。
この1ページは文章は少なく、どうやら挿絵が大きく載っているようだった。

狭い自宅に持ち帰る。
汚れた表紙と残ったページを丁寧に離し、泥を優しく洗い流した後、クリップで挟んで乾かした。


忙しくシャワーを浴びて、缶ビールを片手に、クリップが連なる部屋の脇にある、いつもの定位置であるソファーに居座る。
さきほど持ち帰り、新たに吊るしたこの1ページ。
この挿絵には争いが描かれていた。
大きな大樹を隔てて、その対立しあう者の一方は人の形をしていたが、もう一方は機械式のロボットのようだった。
初めてみたような気がしないのはなぜだろう。
よくあるSF小説の一幕だからだろうか。
どこかもやもやとした気持ちを残したまま、酒のつまみにと持ち帰った白身魚を焼くことにした。
鉄のフライパンにオリーブオイルを注いで、ジクジクと焼きながら、また新たに缶ビールのフタを開ける。

別に改めることもないのだが。
この部屋を見渡すと、これまでに海底から拾い集めた、朽ちた書物から抜き取った写真や挿絵が無造作に張り付けられている。
時代も言語も、それらはもう不揃いに。
定まらぬ一項が、無造作に壁に張り付けられている。

遠い昔、幼い頃に夢みた、自分だけの秘密基地。
なんだか少し照れくさいが、それに装いが似ている。


ー ー ー ー


酔いもまわり、ベッドに横たわる。
一日の多くを深海で過ごしていると、ベッドの中でも海の底にいるような感覚に襲われる時がある。
見上げた天井に貼られた、大きな電子ポスター。
これは私が転職する際、この家に持ち込んだ唯一のものだ。
天体図が描かれていて、現在地の上空の星空をリアルタイムで再現してくれるという代物だ。
幼い頃に憧れたのが、宇宙飛行士と絵描き。
それが、今となっては海の底でゴミ拾い。
人生とは、わからないものである。
もう夢は捨てたが。
でも、この星空だけは捨てられなかった。

 

眠りの淵で。
その星空から本が降りてくるのを見た。
本の背が崩れて糸が解け、緩やかに散る様は、いつ目にしても消えてなくなる花火を見ているような、そんなせつない気持ちにさせられる。
海底に書物がたどり着く時、決まって、何故なのかは解らないのだが。
その一冊の本の、最も重要な部分だけを残して朽ちているように、そう私は思う。
それは、本が最後の力をふりしぼり、残した遺形(ゆいぎょう)が表紙にぶら下がったたった1ページだったり、筆者のあとがき部分だけだったり、フィクションやファンタジーの中に忍ばせた、大切な一文だったりする。

興味本位で翻訳したものの、その多くは前後に手掛かりとなる章や節となるページもなく、文化も違えば時代背景も様々で、ただの海底掃除屋の私には意味の分からないものばかりだ。
でも、誰にゆだねるでもなく、虫眼鏡で文字を覗き込んでは白地の紙に書き留め、それを深海から拾い上げた無数の言語を繋ぎ合わせた自作の古文書辞書で調べたりと、誰に咎められるでもない時間を、考古学者きどりの休息を楽しんでいる。


うん?…ふと、今日持ち帰った一枚の挿絵が気になり、ベッドから体を起こすとそのクリップに近寄る。
いつ頃からだっただろう。
本には書き手と読み手、双方から賜った強い力があるのだと密かに感じはじめたのは。
そして、それに触れられているような感覚が私にとっては何よりもの喜びなのだ。

挿絵のページの裏に、手書きで一筆残されていた。
書かれてある文字は母国語で書かれていたので翻訳する必要などなかった。

「挿絵:愛しのハル」と書いてあった。

遠い昔のことだ。
その仕事は小さなものだった。
それでも、あの頃はどんな仕事でも引き受けて、懸命に絵を描いた。
夢を追いかける私の傍らには、いつも応援してくれる彼女がいた。

「ハル」

そう私の名を呼んでくれた。
あの艶やかな声を思い出す。
ほろ苦い思い出も同時にだ。

どういう経緯で、再び私の元へたどり着いたのか。
この本が海底にたどり着くことが、何を意味するのか。
それを今、深く模索することはしない。
ただ、今日は私にとって、とても特別な一日だったということは確かだ。